「いいか、高校生としての夏休みはこれで最後だ。悔いなく過ごせよ。先生みたいにおじさんになっちゃうとな、どれだけ戻りたくたっていくらお金積んでも高校生の夏休みは買えないんだからな」

5月に29歳になって、もうすぐ20代最後の夏を迎えようとしている。

少しずつ上がる、うだるような気温と、サヨナラが遅くなった太陽を感じながら
私はいつも高校3年生の頃、先生が夏休みにいっていた言葉を思い出す。

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高校生最後の夏。

例年過ごしてきたのと同じような暑さとアイスの美味しさを感じる、夏で別に高校3年生の夏だからといって特別なことはない。
けれど大人たちはこぞって、まるで脅すように「今が一番いいときだから」「後悔しないように過ごせよ」と釘をさしてきて、焦ったことを未だに覚えている。
恋をすべきか?花火や海にいくべきか?受験勉強をするべきか?悔いなくすごすとはどういうことなのか?

結局「悔いなく過ごす」がわからないまま、友達とカラオケにいってプリクラを撮り、アイスを食べ、やだやだぼやきながら夏期講習に行くのを繰り返したら一瞬で夏は終わっていた。
2学期になってもまだ自分が「悔いなく過ごせたか」はわからなかった。大人になったらわかるだろうと思ったけれど大人になってもわからない。

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そして今まさに私は11年越しのデジャブを味わっている。
誰もが「20代最後の夏なら悔いなく過ごさないとね!」「若さはお金で買えないから」とまたつんつんつんつん釘を指す。
高校3年生に悔いを残したかわからないのに、これからまた来る夏を悔いなく過ごせるかなんてわからない。

けれど、高校3年生の時のようにただただよくわからないまま浪費するように1日を過ごすのではなくて1日1日を味わう夏にはしたいと、ぼんやり思っている。

ずっと人生は物凄い長いものだと思っていた。
でも高校生の頃描いていた29歳と今の私は全然違う。
大人になっているだろうと思っていたけれど、10代の頃より少し面の皮が厚くなったもののけれどまだまだ脆い自分。

だからきっと人生は長いようでとても短いんだと思う。私自身たまに自分が29歳なのにびっくりしてしまうように、「え、あー、もう一生終わりなのかあ」ときっとびっくりして幕を閉じるんだろう。何歳まで生きるかはわからないけれど。
だからなるべく1日を大事にしたい。誰もが口を揃えて「貴重」というのなら特にだ。

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29歳最後の夏、と聞いて私がまっさきに思い浮かんだのはやはりここのサイト、「かがみよかがみ」のことだった。

「かかみよかがみ」の投稿年齢は、29歳まで。
20代最後の夏と聞いてすぐに思い浮かべたのは恋やら、キャリアやら、海や花火に行くとか若さを惜しみなく絞り尽くす夏よりも、「かがみよかがみ」のラストイヤーも始まってしまったということだった。

私はここのサイトに出会うのが少し遅かったし、書くペースも決して早くなく、文章だって上手くはなかった。でもここのサイトに投稿するのが好きだということに、間近に迫る20代最後の夏を悔いなく過ごさねばと考える中で気がついた。

29の誕生日を迎えた頃、他のエッセイ投稿サイトを調べてみた、公募ガイドも買ってみた。
巣立っていった先輩かがみすとたちはどうしているのだろう?とも思い、調べたがほとんどの人がもう書かなくなったのか、過去のかがみよかがみの記事をリツイートしたりするばかりでわからない。

年齢制限を憎らしくも思って、このまま抗うことの出来ない時の流れにこの拠り所のような言葉と言葉を紡ぐ世界との繋がりを否応なしに絶たれるのならば早めに投稿をやめたらいいんじゃないか?嫌いになれたらいいのではないか?

「かがみよかがみ」のことをまるで厄介な恋人のように感じた。

今まで「25歳すぎたら女は行き遅れ、売れ残り」だとか酷い言葉を耳にしても、年齢にコンプレックスやマイナスと感じることはなかった。

でも年齢で投稿の場を失うということで、年を取るのがこんなにも寂しいことなのだとはじめて感じた。
30歳から年齢上限なしの「かがみよかがみ」のお姉さん向けサイトも作ってよー…とも願った。

けれどなんだかんだ他のサイトを見たり、頭の中であれこれ妄想しても
やはり「かがみよかがみ」が好きなのだと気がついた。

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与えられるテーマを元に記憶を遡り、テーマと結びつく思い出や感情を文字にする。
投稿が採用されるのは嬉しい。
私はAmazonをやっていないから投稿で貰えるアマギフはもれなく友達にプレゼントしてしまうのだけれど、そんな報酬なんてどうでもいいくらい、言葉を綴れる場所が大切で。
そして他の人の作品を読むことも楽しい。投稿者たちは顔見えずとも繋がっているような、仲間のように思えるのが好きだ。

編集部からのフィードバックはまるで旧友との文通をしているような気分になる。顔も見たことがない、名前も知らないというのに、採用の言葉とともに添えられたその言葉を眺めるのが好きだ、ただの文字、ただの言葉も特別なものに代わる。

年齢制限のない投稿サイトもあるし、
ウェブサイトはたくさんあるけれど「かがみよかがみ」がいいのだ。

来年の今頃にはもうこうして投稿できないことをとても寂しく思う。

そして30歳になった私、かがみすとではなくなった私、顔も知らなくても旧友のように温かい特別な言葉のフィードバックや、画面の向こうにいる名前も知らない読み手との繋がりの絶たれた私は、「書き続けているのだろうか?」と少し不安にもなる。

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書くことは好きだけれど、上手いとは思わない、自分の拙さに落ち込むこともある、このサイトがあったからこそ続けられたのかもしれない私だ。
もしかしたら、30歳の境界線を踏んだ私は、もう書かなくなってしまうかもしれない。

30代の私、40代の私…これからずっと先の私の想いはどこに言葉に残せばいいのだろう。世間に投げればいいのだろう。吐き出せばいいのだろうか。

それは誰にもわからない。

そもそも1年後、5年後、10年後、私がどうやって生きているかすらわからない

けれどわからないからこそ、この夏を大事にしたい。

高校生最後のラストイヤーは「悔いなく」と言われてもよく分からなかった。
でも20代最後の夏は、1作でも多く「悔いなく」言葉を綴りたい。

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セミの鳴く声が力なくなり、日が落ちるのが少しずつ早くなり、当たり前にあった暑さに「残暑」と名がつく、切ない夏の終わりにあるものが今書けるものを書き尽くしたという、太陽に焼き尽くされたような達成感でありたい。

もしかしたら近いうちに年齢制限のないエッセイ投稿サイトや雑誌に出会うかもしれない、新しく創設されるかもしれない。それも分からないけれど、とにかく今は直面している29の夏をただ目をそらさず見つめるしかできない。来年を、30歳の境界線を、怖がっている暇はないのだ。

たくさんは書けないかもしれない、文は上手くないかもしれないけれど、今しか書けないものを。

心に沈殿するばかりでうまく具現化出来なかったもやもやを何度も言葉として、文章として、掬い上げて、世に届けるきっかけになってくれた、かけがえのない、失いたくない大好きな「かがみよかがみ」という世界に。