私は現在、大学4年生。この夏、病気にかかったことで、大学生最後の夏、ほとんどの遊びに行く予定も断って、家で療養していたのである。1年前から続けていたインターンも休職する選択をした。これは、私にとって叶えたくて頑張っていた夢を諦めることに近い選択でもあった。
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休むことに決めたきっかけはグレイテストショーマンの映画を見てからだった。私は、今思うとかなり身体が限界な状態だったが、体調が良くないことを理由に約束を断ったり、インターンを休んだりということは、どこか申し訳ないことだと思っていた。映画の中に登場する『This is me』にはこのようなメッセージを感じた。
「体に傷があったとしても謝る必要もない、あなたにはありのままでも輝ける場所がある」、「これが私だ」と。私は、休む背中を押されたのだ。
それまで、「早く良くなるといいね」、「頑張ってね」と言われるのも苦しかった。そんな自分にも嫌気がさしていた。しかし、このままであったとしても私は私のままで頑張っているのだ。また、周囲の人の気持ちもそれだけで十分だ、そう思うようになった。結果として、会社の人や友達も、優しい言葉をかけてくれて、すぐに私が休むことを受け入れてくれた。
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ありのままを認めたら、自分で自分を持ち直そうと奮い立たせている自分の努力にも気づいた。そんな自分のことを、まずは褒めてあげよう。何もできていないと思う日々ほど、実は陰ながら努力していたのだと気づいた瞬間、胸の支えも取れた。
それからは、私にもできることはある、私は私にできることを少しずつ続けようと思った。誰しも、歩みを止める経験はあるのだろう。その理由は自分や状況からでも。でも、これは多分、必然なのだ。自分にとっての必要悪。人生、何があるかなど予測できない。
ほんの些細なきっかけや選択で、大きく未来が変わることばかりである。少なくとも私は振り返ってみると、その時には偶然に見える、必然の出来事を経験しながらで生きてきているような気がする。予想通りなんてことはそうそうあり得ないのだ。
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私は、そんな壮大な伏線回収みたいな人生を楽しみたい。今回の経験で能力はより一層深まったのだ。私の人生、長い映画みたいに楽しんでやる。心まで負けていられない。気のせいかもしれないけれど、そう思った時から、体調も回復に向かうようになった。まだ社会人になるまでに全快して仕事に戻れるかはわからない。試行錯誤の日々である。
けれど、私にできることはまだあるのだ。やりたいことも、一つだけではない。無限の可能性を胸に、今もこの文章を書いている。この文章がなんのきっかけになるかはわからない。けれどわからないから楽しい。今を生きるというのはそういうことで、歩みを止めるということは一番自分の感情に素直になっている証なのだ。
だから、この経験も、選択も大事にしたい。これからは「これが私だ」と、次は自分が体現してみせたい。同じように苦しんでいる人に、今度は私が届けたい。
これは私の使命なのだろう。私は私のままでできることを続ける。そして、あなたもあなたのままで。