ふたり暮らしを始めてから、ひとりを楽しめるようになった。
結婚して3年目。休日、夫とは基本的に別行動だ。
年に数回の旅行や、お互いへのプレゼントを買うとき、家族のイベントを除いて、ほとんど一緒に出掛けない。家にふたりでいても、昼寝をしたり、本を読んだり、ゲームをしたり、料理を仕込んだり、各自思い思いに過ごしている。

休日の朝目覚めると、すやすや寝ている夫を尻目に洗濯、掃除(主にルンバがやってくれる)をする。
夫が起きてくるとパスタなどのランチを作ってくれるので、それを食べて外出(夫が起きてこないときは、ふらっと外出してランチをする)。

好きな街に行ってカフェで勉強したり、読書したり、ウィンドウショッピングをして、夕方ごろ帰宅。
夫が夕ご飯を作ってくれているので、一緒に録画した大河ドラマなどを観ながらお酒を飲む。
夫は21時には寝てしまうので、ゆっくりお風呂に入って好きなことをしてから、私は23時~24時ごろにベッドに行く。

夫はスキーが趣味で、冬は友人と泊まりがけでスキーに行ってしまって、丸2日ひとりだったりする。
そういう時は、侘しくならないように部屋をきれいに掃除して、お花を飾ってみたりする。夜は海外の冷凍食品や変わり種のピザなど、夫の好みではないけど私が興味のあるものを食べて、ちょっといいお酒をグラスで飲みながらリビングで映画を観て、おしゃれな夜にしてしまう。

結婚後、ひとり旅をしたこともある。京都に2泊3日。毎晩、日付が変わるまで先斗町周辺のバーでひとりで飲んで、朝はホテルのコインランドリーで洗濯して、昼はカフェに行って本を読んだ。眠くなると、鴨川のベンチで昼寝をした。
思ったよりも、夫や友達が恋しくなる瞬間があった。美味しいものを食べているとき、夫もここにいたら喜びそうだなあと思ったり。

だから家に帰って夫の匂いを嗅いだらほっとしたけれど、思い返すと良い時間だった。誰とも話さないから、ずっと瞑想しているような、自分の頭の中と常に向き合っている、濃密な時間だった。さみしさがちょうどよいスパイスのようだった。さみしいと確かに感じたはずなのに、すぐにまた行きたくなった。

ひとりが日常だった結婚前は、ひとりが苦しかった

結婚前、ひとり暮らしをしているとき、ひとりは私の日常で、根底となる単位だった。友達と会っていても、彼氏が泊まりに来ても、実家に帰っても、ひとりではない時間は全て非日常で、日常はひとりだった。

ひとりは苦しかった。憂鬱な気持ちに苦しめられて、ジムに通ってみたり、お花を飾ってみたり、休日は午前・午後・夜と全部予定を入れてみたりした。彼氏は週に2回泊まりに来てくれた。

それでもさみしくて、1Kの部屋は結局最後まで好きになれなかった。窓がひとつしかない6畳の部屋にいると、壁が圧迫してくるようで、ひどく息苦しさを感じた。眠るとき、目の前のベランダの窓やすぐそばの玄関から知らない男が入ってくる気がして、いつも怖かった。入ろうと思えば簡単に入ってこれる、と思った。

辛かったが、実家に帰っても通える大学もなければ職もない。東京にしか未来がない。ただ耐えていた。
何時に帰っても、どこで何をしても誰にも報告しなくて良い生活を、もっと楽しめたらよかったのに。勿体ない、と今になって思う。

ふたりが日常の今は、非日常であるひとりをもっと楽しみたい

夫と暮らし始めて、私は東京でやっとふたりの単位になることができた。
日常がふたりだから、非日常のひとりをのびのびと楽しめるようになった。

休日ひとりで出掛けて気ままに過ごしても、家に帰ると夫がいて、温かいご飯がある。その安心感が、ひとりの時間の根底にあって、目の前の街並み、光や風、お菓子や飲み物のひとつひとつに集中することができる。
さみしさを紛らわすためではなく、ただ心の赴くまま楽しむために行動することができる。

今度また、ひとりで京都に行ってみようと思う。神戸や札幌、韓国や台湾にも行ってみたい。
ひとりになって、帰ったら夫がいることの喜びを噛みしめながら、ふかふかのベッドで眠りたい。