強く強く憧れたものに限って、自分との間に長い長い距離が横たわっているのはなぜだろう。

それとも、自分から遥か遠く離れた場所にあるものだからこそ、人は憧れてしまうのだろうか。

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例えばブランド物の高価なバッグ、例えば海外旅行、例えば就活生に人気の大企業。何かに憧れた時、多くの場合、人はその対象と自分との間に大きく隔たった距離を痛感する。その隔たりを乗り越えて、憧れの対象を我が物にするために、人は節約や貯金や情報集めに精を出すのだ。

10代前半、バレエを習っていた私の憧れは、バレエのトウシューズだった。淡いピンク色に艶めくその靴に、そっと足を入れたその瞬間。自分の中でカチリとスイッチが入り、新しいステージへの幕がフワリと開いたような気がした。

でも、トウシューズを履けるようになったからといって、その美しい靴が完全に私のものになったわけではなかった。

まさか、トウシューズで踊るのがこんなに大変だなんて。
高く、遠く離れた場所に鎮座していた憧れの存在、トウシューズ。それを履き始めた日は、今思うとゴールなんかじゃ無くてむしろスタートと呼ぶにふさわしかった。「トウシューズデビューすること」という「憧れ」が現実になり、「憧れのその先へ」足を踏み出したあの日。トウシューズを履き始めた10代の私は、さらに高みを、遠いところを目指して、レッスンに通っていた。

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ここまで読んでくださった読者の皆様の中には「そもそもトウシューズとは何ぞや」「バレエシューズとはどう違うんだ」と疑問に思われている方もいるかもしれないので、簡単な説明を挟んでおく。

バレエを習い始めた時にまず履き始めるのが、バレエシューズ。柔らかい生地でできた柔らかい靴である。これを履いてある程度踊れるようになったら、今度はトウシューズと呼ばれる、爪先を硬く厚く固めた、爪先立ちで踊るための靴を履く許可が先生から下りる。バレエ漫画や小説では、ヒロインが「憧れのトウシューズ…...!やっとこれを履いて踊れるのね」と感極まって涙ぐむシーンを、「山場」の一つとして描くことが非常に多い。私も、初めてトウシューズを履いた時は、かなり感動した記憶がある。しかし、憧れのトウシューズを手に入れて感涙にむせんだ私たちは、いざレッスンが始まると、今度は違った意味での涙を流すことになるのである。

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そう、この靴を履いて踊るのは何と言ったってものすごく難しい。だってトウシューズの先端って、本当にほんのわずかな面積。この面積×2に全体重を預け、完全に爪先立った状態でくるくる回ったりするのである。テレビで見るプロのバレリーナは、皆さん涼しい顔でそれをなさっているけれど、その境地に至るまでが文字通りイバラの道なのだ。

晴れてトウシューズデビューを果たした私もご多聞にもれず、レッスンが終わった後シューズを脱いだら、爪が割れたり血が出たりしていたことがよくあった。「シンデレラの義理の姉たちって…...ガラスの靴を無理矢理履いた時こんな感じだったんかな」と、童話の中のこわ~い悪役たちに親近感を憶えてくる始末。昔話の彼女たちは王子様とのハッピー・ウェディング、平成(その時はまだ令和じゃなかった)を生きる私は爪先立ちで綺麗に踊れるようになること。そう、いつの世も、人は己の憧れを実現させるためだったら、足が多少痛むくらい歯を食いしばって耐えるのだ。

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昔話の悪役に同情しちゃうくらいにはトウシューズに泣かされた私だけれど、最終的にはトウシューズで発表会に出られるレベルには何とか辿り着けた。バレエ教室をやめてすっかり「観る専」になった今は、「あの時の私、よくあんな靴でくるくる回ったり片脚上げたりできてたよな......」と時々当時を思い返しては遠い目になっている。

憧れという言葉には、ふわふわとかきらきらとかの、柔らかくて可愛らしい響きのオノマトペがよく似合う。でも、憧れを現実にしてさらにその先へと進むためには、泥臭い努力、血のにじむような鍛錬が必要なこともある。私はそれを、トウシューズとのあれこれを通して学習した。

時の流れは速く、気づけば立派な(?)社会人、今の私は日々労働にいそしみ励む身である。ピンクのトウシューズは黒のパンプスに、ネットで包んだシニヨンはクリップで挟んだまとめ髪に、スパンコールたっぷりの舞台衣装は所謂オフィスカジュアルと呼ばれる服装に変わった。そして、「憧れ」の対象は、「キャリアアップ」や「一人暮らし」になった。

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バレエをやめて何年も経った今の私には、トウシューズを履いて踊ることはもうできない。でも、私の中のどこか奥深くに、「精神のトウシューズ」は存在し続けている気がする。憧れの対象を前に、高い壁や長い距離を感じたら、自分はきっとその靴を履いて静かに爪先立つのだろうと思っている。