実の両親はわたしが十歳を過ぎた頃に離婚していたが、わたしの名字が変わることはなかった。
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当時はまだ、今ほど離婚が一般的ではなかった頃である。もちろん、両親が離婚している友人もいたが、それはごく少数派であり、やはり両親は揃って居るものだという認識の方が圧倒的であったのだと思う。
そのため、わたしたち姉弟を引き取った母親が周囲への配慮として名字を戻すことをやめたのだった。
その理由を何かの拍子に耳にしたことがあったが、母親の旧姓は珍しいと言われる名字だったそうだ。そのため、名字が珍しいということでひときわ目立ったことが嫌で仕方がなく、子どもたちにはそのような思いはさせまいと、名字は変更せずという選択を取ったとのことだった。
しかし、離婚を経て父親の戸籍から抜けるが名字をそのままでいようとするということは、”父親と戸籍が異なる、ただ父親と同じ名字の人”ということになるらしかった。そのため、父親と同じ名字で新しく戸籍を作り、母親が一代目、わたしたちは二代目ということにするという手続きが必要であった。
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当時、両親の離婚に際して名字について思ったことなど、大したものではなかった。
わたしの名字は、名字ランキングの上位にランクインするほど全国に多数存在する名字なのだが、もう少し珍しい名字が良かったなと思うくらいである。スムーズに読むことは可能だが、周りではあまり見ない、そういう感じの。むしろあの時、母親の旧姓に戻してもらった方が好みだったのにな、程度だ。
だが、今はもう少し違う感情が渦巻いている。名字とは実は、家族の血縁に深く結びついているものなのかもしれない。時に、わたしたちの過去や家族の歴史を背負っているとも言える。
わたしは、父親も母親もそれぞれで名字、もとい家系を汚しているよなあ、と思っている。
法的に契りを交わした家庭を持っているにもかかわらず、何人もの異性と逢瀬を重ねる人も、離婚後すぐに新しい恋人を作り、家庭よりも自身を優先するような人も、ごまんといることは承知している。
そのようなことをしている大勢の他人について、家系を汚しているなどとは微塵も思わないのだが、自分事となるとやはり違う思いが芽生えるようである。
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今、自分の名字に対して、愛着というものが少しも湧いてこない。そりゃあ、希望の名字ではないし、理想の名字でもないが、一応両親から最初にもらうプレゼントと言われる名前だ。名字も揃って一つの名前だろう。三十年弱持ち物にもテストにも書類にも名刺にも、とにかくあらゆる場面で綴ってきた名前、そして名字。全然好きじゃない。
あの両親を引き継ぐ名字だなんて、正直恥ずかしくて名乗れたものではない。
名字だけではない。親という存在そのものが疎ましいとすら思う。名字以前に、親自身のことを他人に誇れるような存在ではないと感じているせいだろう。
正直、名字云々よりも、わたしは親をパートナーのご両親に紹介したくないとすら思う。
幸いなことに、パートナーは男性なので、わたしたちは法的に結婚するということが可能である。今の法律上、名字はどちらか一方に揃える必要がある。だから早くこの名字とも決別したい。
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現在の名字と決別するということは、名字が新しく生まれ変わるということでもある。つまりそれは、新しいアイデンティティを得るということ。そして、新しい人生が始まるということだ。
世の中は夫婦別姓に夢中のようだ。そうしたい人も大勢いるのだろう。そうなったらきっともっと生きやすいのだろう。多くの人が自分のアイデンティティを守れるようになるのだから。でも、わたしの希望はそうじゃない。夫婦別姓が選択できるようになる時代になってもわたしは、パートナーの名字に変更する一択だ。
新しい人生の門出として。