私の名字は変わっている。漢字二文字でどちらの漢字もそれほど難しくないのに、組み合わせが珍しいため、初見では読み間違われることも多い。特に電話では何度も聞き返され、ようやく伝わるかどうかの繰り返しだ。逆に一度で伝わったときは少し嬉しい。

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子供のころからその珍しい名字のことで何度も注目された。私が名乗ると周りの人々に「どう書くの?」、「珍しいね、初めて聞いた」などの言葉をかけられ、自分の名字が少し恥ずかしいと思っていた時期もあった。

名字が特徴的だったから、中高生時代はずっと名字が由来のあだ名で呼ばれていた。軽い響きのそのあだ名は新しく知り合う人にもすぐに浸透し、家族と小学校からの幼馴染以外はみなそのあだ名で呼んだ。私はそのあだ名を気に入っているふりをしていたが本当は少し違った。母がつけてくれた名前が好きだから、下の名前で呼んでほしかった。だけどそれを言うことはできなかった。下の名前で呼んでほしいと言って嫌われたくなかったから。他人の期待に応えようとして本心を言えない私のことが一番嫌いだった。

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初めて付き合った人はありふれた名字の人だった。一つのコミュニティに一人はいるようなありふれた名字。読み間違えられない彼の名字が羨ましかったから、一緒に行った外食の順番待ちでは必ず彼の名前を書いた。誰にでも一度で読んでもらえることはこんなにも楽なのかと驚いた。また、私を下の名前で呼んでくれる彼のことが好きだった。私の名前そのもので呼ばれることに幸せを感じた。

彼は私より年上で結婚願望が強い人だった。ある日彼は言った。「俺と結婚したら、俺の名字になれるよ」。そうなってもいいと思っていたはずなのに、彼の名字が羨ましかったはずなのに、彼の言葉は何かが違うと思った。彼は私が名字を気にしていることを知っていたから、軽い気持ちで言っただけだろうけど、私はそれに答えることができなかった。

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母はこの名字が好きだと言う。響きが綺麗で、珍しいのにどんな名前も受け入れてくれるからいいと言う。父がくれた名字の方が昔の名字よりも好きだという母の気持ちは私にはよくわからない。だけどそれは母が確固たる自分を持っているからだと思う。名字が変わっても変わらない自分を持っているからだと思う。私は「私」が何なのかよくわからない。だからまだこのフルネームで出来上がるアイデンティティに守られていたいと思う。

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もしかしたら今後、すごく好きな人と出会ったら名字を変えてもいいと思うかもしれない。私が結婚するころには夫婦別姓が当たり前になっているかもしれない。そんなことわからないけど、私を私でいさせてくれる人と出会いたい。その人がどんな名字を持っていようと、私の名前を尊重し、私という存在を大切にしてくれることが最も重要だと思う。

名前や名字は、ただの文字の組み合わせではない。それは私のアイデンティティを形作る一部であり、私の名字と私の名前があってこそ、今の私がいる。だから、私はこの名字と名前で出来上がる世界で唯一無二の私を大切にしたい。この名字が好きだと、今では胸を張って言えるようになった。それが、私にとっての誇りであり、私が「私」であるための礎なのだと思う。

私の名字は私を守り、私を表現してくれる大切なもの。それがどう変わろうとも、私を私らしく生きさせてくれる人がそばにいてくれるなら、それが一番の幸せだと思う。