マンホールを踏んだら自分の名前を脳内で3回唱える。するといいことがあるらしい。
そんなジンクスを20年ほど信じて実行している。
私は「貴田明日香」として活動している映像作家だ。仕事の場ではそう名乗っているし、初めてエンドクレジットに載ったときから、一生この名前でやっていこうと決めている。
だから、マンホールを踏んで頭の中で唱える名前も未だに「貴田明日香」だ。
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でも、本名ではない。本名は「山田(仮称)明日香」になった。結婚してはや5年。
「山田さん」と呼ばれる場は少ないけれども、役所などの公的な場ではもちろん「山田さん」と呼ばれている。
プライベートでは山田、仕事では貴田。それでよかった。私の貴田としてのアイデンティティはそれで十分守られていると思っていた。
しかし、近い未来、常に「山田」と呼ばれるようになる……と思う。なぜって、ママになるつもりだから。
例えば子どもが生まれて、保育園に預けるとする。そのとき、私は山田〇〇ちゃんのママとして認識され、貴田であった過去や、やっている仕事などは考慮されない。完全に山田家の嫁であり、母という立場になる。
今はいい。仕事で名前を呼ばれる機会の方がずっと多いから。でも、これから子育てをしていったり、例えば町内会やPTAに入ったとき、私の存在はどんどん「山田明日香」に吸収されていくだろう。
そのことにとても心細さを感じる。母が旧姓だったころの人生を私はほとんど知らない。私の子どももそうなるのではないかと思う。
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女だから困ることなんて正直ありすぎて、名字が変わることなんて瑣末な問題だと考えていた。でも、名字が変わって5年くらい経って、頑なに貴田と呼んでくださいと訴え続けることが相手にとって迷惑なんだろうなってことくらいわかるようになった。
私が仕事名でものすごく活躍して、「貴田明日香」という名前を誰もが知るようになれば、こんな不安は感じないのかもしれない。芸能人みたいに?そんな夢見ていられる?
これから妊娠出産育児、というイベントがあるとしたら、その先の私はもう疲弊しきっていて、「貴田明日香」のアイデンティティを守ることよりも、山田〇〇ちゃんのママだから山田さんだね、のほうが勝ちそう。
失うことを通して、やっと私は「貴田明日香」を愛していることに気づいた。
初めてクレジットされた名前。映画祭でグランプリを獲ったときに読み上げられた名前。そして、多くの人が私を呼んでくれた名前。
消えていいわけがないのだ。これだけ愛してもらった名前で、私自身なんだから。
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その名を誰も呼んでくれなくなって、私すら、今までの私を忘れてしまう日も来るだろう。私は夫が大好きで、彼の家族になりたくて結婚したし、そのために名字を失うことも受け入れた。その選択が間違っていたなんて思わない。
けれども、それイコール私が私を失うこと、とは考えたくない。だから、これからは「貴田明日香」を道標にして生きていきたいと思う。家庭とは別の世界を生きるための道標。
疲弊しきった私が何者なのかわからなくなったとき、戻ってくるための道標だ。
その名前は別にカッコよくないけど、有名でもないただの私なんだけど。でも愛してるから。
もともとは親がつけた名前で単なる記号だったものだってわかっている。けど、長い年月を経てそれは、絶対に守り抜きたい私自身になった。そう思える人生を歩んでこれたことは、私の誇りだ。
誰にどう認識されてもいい。私だけでもいいから、ずっと私が貴田明日香だってこと、覚えていたい。