名字というものは生まれた時からのお付き合いだ。家族に属している証であり、社会の中で個人を識別する為に大事なものという事は百も承知している。

しかし、私は昔、自分の名字が大嫌いだった。出来得る限り早く変えたかった。

それでは、名字を変えるにはどうしたらいいのかと考えた時に私は昭和生まれなので、当たり前のように早く結婚すればいいと思っていた。

はっきりとした名字は明かせないが、私の名字は「あ」から始まるので五十音順で一番初めの方に分類される。学生の頃の出席番号というのは、ほぼほぼ五十音順なので、私は小学校から高校まで出席番号が常に一番だった。残念ながら、五十音的に私より前になる人とは巡り合えなかった。

だから、社会人になってから初めて私よりも出席番号が前になりうる人に出会った時には、もしあなたと同じ年で学生の時に出会えていればと内心思っていた。

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一番になった事がない人には伝わりにくいと思うが、出席番号というのは、学生生活に非常に深く影響してくる。席順も一番前になる頃が多かった。その他、注射を打つ順番、体育の実技テストなど、一般的に心の準備が必要で真っ先にやるのが嫌だと思う事は大抵一番にやらされた。

小、中学校は男子がいたからまだ良かった。昭和の頃だから男女の序列が存在して男子が先が多かった。しかし、高校は女子高に通っていたのでもう逃れようがなかった。

出席番号で順番を決めるのは、先生にとっては生徒を管理するのが一番楽なのだろう。そもそも、その為にわざわざ予め順序付けをしているのだから。

しかし、自分の意志で付けているものではないのに、当たり前のように何でも嫌なものを一番にやらされるのが本当に嫌だった。学生の頃はあまり家族と仲が良くなくて、家族愛が薄かったので余計そう思った。

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その中でも一番嫌だと感じた出来事は高校の時の服装検査で、それもやはり出席番号順だった。その時に「〇〇さん(私)、悪いけどまた貸して」と毎回のように私に校章と学年章を借りに来るクラスメイトがいた。その子は私と逆で名字が「や」から始まり、出席番号が一番最後だった。

私が一番に終わったタイミングに検査中の先生の目を盗むように廊下に呼び出してコソコソと借りに来るのだ。私は人に借りる時間すらないのに、何故、この子は出席番号が最後というだけで「ズル」が出来るのか? 理不尽に感じて先生にチクってやろうと思ったが、私は当時、真面目な生徒だったので元々校章と学年章は常に身に着けていたので、別に私自身が不利益を被る訳ではない。それに何よりも気が強くて不良っぽい「や」が付く子と揉め事を起こすほどの度胸はなかったので黙っていた。

しかし、そんな理不尽な経験も悪い事ばかりではなかった。注射や体育の実技テストも一番を度々経験する事で無駄に度胸が付いたし、服装検査の件も社会に出てからの理不尽と思える事への耐性にもなった。

これは出席番号が一番である事、元を正せばこの名字でなくては得られなかった事だとは思う。名字のお陰で成長の糧になったという事実は否定出来ない。

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学生の頃は名字を生まれながらの呪縛としてマイナス方向にしか考えられなかったが、社会に出てようやく出席番号から逃れたせいもあるのか、この名字に対して昔ほどの嫌悪感はなくなった。長年の慣れや愛着が芽生えたせいもあるのだろう。

残念ながら、ミドル世代にもなるのに未婚なので、どうやら一生この名字からは逃れられなそうだ。それを呪縛と思わずに仲良く付き合っていこうと思う。