同じ名字が生活圏に4人。移住して考えるようになったルーツのこと

今年の春に移住した。
生まれた県から初めて住民票を移した。
そうしたことで出会ったことの一つが、私と同じ名字の人が多いことだった。
地元では私の名字は学年に1人、なんなら学校に1人いるかいないかくらいの名字だった。全国的にみてそこまでレアな名字というわけでもないが、必ずクラスに1人はいるというほどメジャーなものでもない。
だが今の職場では同じ名字の人が私の生活圏に4人はいるのだ。
私の名字で「(喫茶店の)○○さん」とか「(××学校の)○○君」とか会話が交わされるのである。もちろん括弧書きのところは発音されていない。
そのため自分の名字が聞こえてくる度、反応してしまう。
間違えたと気づくたび「あ、すみません」と言い「あ、いや、君じゃない」という反応が返ってくるが、この状況が変わることはない。
今の仕事は接客的な要素も含んでいるため、お客様の名簿などを見ることも多いが、やっぱり10~20人くらいの割合で同じ名字の人がいるのである。
名字そのものが土地に根差したものであるという漠然とした認識はあったものの、尊属の家系図がアレコレ複雑だったり、地元のお土地柄的にも家系を意識することが少なかったのもあって、名字と土地の関係を実感するのは初めてであった。
簡単に自分の名字のルーツについて調べてみたが、どうも移住先の方に名字のルーツがあるらしい。詳しいことはわからなかったが、もしかすると5代前くらいまでの先祖の地元がこっちだったのかもしれない。
そして私の地元では聞き慣れない名字だか、移住先の人に「△▲」という名字が多い。
「△」には東西南北が多く入るが「宮」など他の字が来ることもある。「▲」については固定の音である。ややわかりにくい書きぶりで少々申し訳ないが、そんな感じだ。
そんなわけで「移住者の△▲さん」というと「▲が名字にあるってことはあの人Uターンなのかな?」という推理を移住先の人にされることもあるのだ。
こんな感じで移住に関わる名字にもいろいろあって驚くと同時に、結構面白いなと思いながら生活している。
私自身の家庭の事情で地元での結婚は絶対にありえないと考えていた。しかし移住してきた今、積極的ではないにせよ、少し考えてみることはある。
もし将来なぜか現れた結婚相手が外国人で日本に帰化したい人だったとか、私以上に難しい事象があるということではない限り、私が相手の家の戸籍に入り、名字を変えるつもりだ。
例のごとく今の名字に何の愛着もないのだが、やっぱり行政手続きとかクレジットカードの名義変更とか不便なことが多いので積極的に変えたいとは思わない。だから早く夫婦別姓が合法化すればいいなと強く思う。なんならお互いの事情如何ではパートナーシップ制度をうまく使ってやっていくというのも全然ありだと思う。
そもそも移住先でいい人を見つけないとなんの意味もないのだけれども。
まぁ今後、本当に「地元の名字」になれそうなチャンスをじっくりと待ってみようと思っている。
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