人の一生は、生まれた瞬間からゆっくりと終わりに向かってゆく。100年前後の人生を与えられその中で色々な経験をして、多くの人と出会い最期を迎える。その最期には、いつも忘れられない香りがするのだ。

私は今年で23歳になる女性看護師だ。
人よりも鼻が利くため、23年の生活の中で多くの匂いを感じ取ってきた。
特に好きなものを挙げるのであれば、焼きたてのパンの引き寄せられる様な芳ばしい匂い、生まれたばかりの赤ちゃんのほんのり香る甘く優しい匂い、幸せを感じるたくさんの匂いたち。

その中で、私にとってヒトの一生について考えさせられる忘れられない匂いがある。

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これは、特定の職業に就くものであれば一度は経験し何と表したら良いかと戸惑う部類の匂いだろう。
本能的に、不安になるようなそんな匂い。

話は変わるが、みなさんは、白衣の天使をご存知だろうか。
白衣の天使」。これは看護の祖であるフローレンス・ナイチンゲールを指す言葉である。
ナイチンゲールは野戦病院で骨身を削り衛生環境を改善したことで傷病兵の死亡率をぐんと下げたまさに戦場の天使だ。
そして、今でも白衣の天使という言葉は残り現代の看護師を部表す言葉として耳にする事があるだろう。
その時代、ナイチンゲールらは少しでも生存の可能性がある方を優先し死亡率を減らす事もしていたはずだ(現代でいうトリアージ)

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現代の看護師の全てが「それ」に該当するとは言えないが、研究論文があるくらい第六感が存在し役に立っている事があると伝えたい。
それは、人の死の匂いがわかる。というものだ。
異論は認めるが、看護師は最期の時を迎えようとしている方が分かる事が多い。日々看護をしているから当たり前だろうと思われるだろうが、多くの場合身体的な変化は非常に緩やかで分かりにくいものなのだ。

しかし、誰にも分からないその方の死期を五感で察し対応する。そして、言語化が難しい「その時」が来た事を、勘の一言で片付けるには説明がつかない第六感で感じる事がある。死までの時間や誰に会ったら亡くなるだろうとそこまで明言し、的中させる看護師もいる。
そんな現代看護師たちを私は、勝手ながら白衣の死神だと思っている。
悪いイメージのある死神だが、自分はヒトの最期に寄り添うプロだと考える。
死期を察し命の最期に立ち会うだけでなく、家族や本人の延命の有無にも関わる話し合いにも同席する。
方針に合わせて、治療と生活をサポートするが寿命には手出し出来ず日々人の命の重みを感じる仕事だ。
私もなんとなく今日が「その日」だと感じる事があるが、五感の方が強く特に顕著なのが、匂いだった。
徐々に強く香る匂いから私が感じたことは、この人の為に自分が出来ることをしたい、最期まで寄り添いたいという気持ちだった。

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人生の終わりが来るのはみんな平等だが時期はバラバラで平等な寿命ではない。
私も明日はいないかもしれないし、死の香りがする方の寿命も今じゃないかもしれない。
それでも、予想していない場面で起きてしまう「かもしれない」に怯える自分がいる。
そして、その時にできる限り後悔がないように、私は今関わる全ての人や事に誠実に向き合うようにしていきたいと思った。
あの匂いを感じる度に、もっとこうしてたら良かった。もっとこうできたはずだと後悔したくないから。

私は今、人生23年目。周りから見れば、残された時間はまだまだあると思うだろう。しかし、誰かの死期を悟ることがあっても自分のことは感じることができない。残りの人生、自分は勿論周りの人にも悔いが残ることがないように日々全力で向き合い、いつか来る終わりの日を笑顔で迎えようと思う。
最期の匂いから、私はそう感じるのだ。