5日前に、プロポーズされた。ずっと結婚したかった相手からようやくしてもらえたプロポーズ。「私が諦めることがないように、自分ができることは何でもする」と言ってくれた。不器用な彼が一生懸命考えて言ってくれた言葉。とてつもなく、嬉しかった。
結婚したら、アイデンティティである名字を一つ選ばなければならない
ところで私は、自分の名前、特に名字に愛着がある。少しだけ珍しい名字のため、なかなか一度で正しく読んでもらえないところも、名字をもじった私の雰囲気よりもちょっとかわいいあだ名でみんなに呼んでもらえるところも、結構気に入っている。
中高生の頃は人見知りがひどかったが、この名字のおかげで救われた場面がたくさんあった。そんなわけで、名字は、私のアイデンティティと切っても切れない関係になっている。
結婚の話が出た頃に、彼に一度だけ、結婚後の名字について聞いてみたことがある。「結婚したら、私はあなたの名字になるの?」と。何の疑いも無く「もちろん」と即答された。25歳の私だったら、激しい反論を繰り広げていただろう(25歳の私は血気盛んだったから)。だけどもう、その時は既に30歳の大人だったので、激しく言い返したりはしなかった。ただ、少し悲しくなっただけだった。
そして今。新しい名字になることがいよいよ現実味を帯びてきて、私は寂しさと憤りを抱えている。私は、私の名字のままでいたい。昔からの友達にはそのままのあだ名で呼んでもらえば良いし、仕事でも今まで通り旧姓を名乗れば良いことは分かっているのだけれど、問題は、そういうことではないのだ。
健康保険証も運転免許証も、パスポートも、私の身分を証明するものは全て、名前を書き換えなくてはならないし、氏名を書く場面では、夫となる人の名字を書かなければならない。その度に、私は自分の名字が変わったことを嫌でも意識するだろう。
自分たちで名字を選べるよう、選択的夫婦別氏制度が成立しますように
私が一番悔しいのは、この寂しさや憤りを夫となる人は、想像することすらできないことだ。プロポーズの時に言ってくれた、「私が諦めることがないように」の“諦めること”の中に、“今の名字のままでいること”は入っていない。
もう一度話し合えば、彼は私の気持ちを想像するぐらいはできるようになるかもしれない。でも、私が私の名字のままでいるということは、今の日本ではすなわち、相手が私の名字になるということだ。
彼も自分の名字に愛着があるようなので、私の名字に変えてもらう場合には、今の私と同じ思いをさせるかもしれない。それはそれで、私の望むところではないのである。
だから、一日も早く選択的夫婦別氏(別姓)制度が成立すると良いと思う。例外的夫婦別氏制度ではなく、選択的なそれが良い。夫婦で同じ姓を名乗りたいカップルもいれば、別々の姓を名乗りたいカップルもいるだろう。どの夫婦の選択も、平等に扱われるべきだと私は思う。
夫婦の数だけ思想や事情が異なるのだから「選択肢」があっても良い
日本以外の国では、婚姻時の夫婦の姓について法律自体が無い国や、夫婦別姓が認められている国が多い。一部の国では、二人の姓を並べるところもある。
選択的夫婦別氏制度の成立を望んだばかりだが、本当の理想は、夫婦の姓の自由化だ。結婚をしたら、どちらかの姓を名乗っても良いし、別々の姓を名乗っても良いし、二人の姓を並べても良いというのが一番理想だ。
夫婦の数だけ、思想や事情が異なるのだから、その思想や事情に合わせて名字ぐらい、いくつか選択肢があっても良いと思うのだ。
結婚が決まったと報告した時、誰からも、名字をどうするかを聞かれなかった。住む場所はどうするのか、結婚式は挙げるのかといったお決まりの質問の中で、「名字はどうするのか?」も自然と会話されるような世の中が早くやってこないかなぁと、結婚などはるか遠い未来のことだった頃から、私は夢見ているのである。