チャックの閉まるワンピースは探せばある。美味しいことが健康だ

私は白米信仰がなくてどちらかと聞かれればパンが好きな人間なのだが、最近気づいたことがある。市販のパンもオーブンで少し焼いて食べれば非常に美味しい♪
7歳くらいでもうとっくに気づくはずであろうことを何故今更、と思われてもしょうがない。しかし、1人暮らしを始めてしばらくの間、家にはずっと電子レンジしか置いておらず、他の調理器具は大きくて深いフライパンのみといった生活をしばらく送っていた私にとって、これは紛れもない発見だった。
市販のパンより圧倒的にパン屋さんのパンの方が別格に美味しいという信念を曲げず、貧乏だったにもかかわらずパン屋でふかふかのパンを買っていた。
朝食はブラックコーヒーかお茶にして、パン屋に行き昼食からが食事の本番、という生活でも別に支障はきたさない。
しかし、私は根本的に食べることが好きな側の人間なので、前日にパンを買っておき、朝から焼いて食べることが楽しみになると1日の生活の質も変わってくる気がする。
思い返すと、私は高校生の頃から3ヶ月〜半年のスパンで個人的にお菓子の流行がくる。
高校生の頃、世間はタピオカを飲んでいた。私はキャラメルポップコーンをひたすら食べていた。受験前は乗り換え駅の売店にあるゴマ団子。大学生になると、カヌレを求め東奔西走し、その約1年後に世間でカヌレが流行った。コンビニでも売られるようになったが、時すでに遅し。その頃私はミルクプリンに陶酔していた。
その他にもフロランタンや無印の不揃いバアム、ミスドのハニーチュロ、クロワッサン、もう思い出せないくらい突発的で瞬間的なものもあっただろう。
ずっと満たされない心をなんとかお菓子で甘くして誤魔化してきた。
世の中ではダイエットだBMIだとごちゃごちゃ言ってるけれど、食べることはそんなに悪いことではないはずだ。もちろん限度はあるにしても。
一時期ストレスが身体中のほとんどを占めて何も食べたくない時期があった。
美味しくないし食べても意味がない。そう思い始めて数日はダイエットにもなるし丁度二重顎の解消にもなるとたかを括って食事をおざなりにしたが、1週間も経つと体は絶不調になり、息を吸うという行動一つとっても上手くいかないくらいには24時間全ての行動の調子が狂ってしまった。
ついでに顎のシャープさもこれといって変化しなかった。
もはやなんでもいい。私たち人間は絶対に何かを食べないと生きられないと、これまた基本中の基本のことを学んだ。
それでも痩せ信仰の勢いは加速しているし売られている洋服は標準体型では似合わないものばかりになっていく。周りの細い子は案の定全然食べていないし、体内の仕組みが全く違うのでは?と今でも少し疑っている。
夏にワンピースを試着したら後ろのチャックが閉まらなかった。しかし、ワンピースは着なくても生きていける。さらに言うと、チャックが閉まるワンピースなんて少しでも探すといくらでもある。
食べることはやめない。食べる量は減らさない。
ただ、食事内容はボチボチ見直そうと思っている。たくさん食べたい場合は、多分よく噛んだりすればいいと思う。知らんけど。
それが、人間としての道理に適った生き方ではないだろうかと、私は思う。
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