母を一言で表すなら、「すごくセンスがいい人」である。

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なんでもできる人だった。
料理も上手だったし、お菓子やパンも作れた。
「お母さんが作った方が美味しいよ」と言って、幼少期は市販のパンやケーキを買ってもらったことがほとんどなかったくらいである。

裁縫も得意で、母が作った服や鞄を身につけて、幼稚園や小学校に通っていた。
母が選ぶ服はどれもオシャレだった。
今のわたしなら喜んで着るだろうなと思うから、母はオシャレなんだと思うのだが、幼き頃のわたしにとっては母のチョイスがあまり好きではなく、「これ、やだなあ」と思いながら着ていたことを記憶している。
母自身も、40代になってもミニスカートを纏うような人で、それでいてすごく輝いて見えた。

デザインなんかも得意だった。
実家は、母が一からデザインしているのだが、母のこだわりとセンスが詰まっている。
雑誌にも取り上げられたことがあるくらいである。

名付けのセンスも良く、わたしも弟も、どこにでもいるような発音をする名前だが、当てた漢字があまり見ないもので、それでいて美しい、素敵な名前を貰っている。

余談ではあるが、素晴らしいセンスを受けて生まれてきたからなのだろう、対人関係は絶望的にダメな人だった。
母の両親(わたしから見た祖父母)との関係もあまり良くないし、男運もびっくりしてしまう程ないし、これをわたしが言ってしまうのは少々忍びないのだが、母は多分、母親という役職に向いていない。

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そして、娘としてそれだけのセンスを持った人間の下に生まれても、同じようなセンスを持っているというわけではないところが、なんだかやるせないものである。

ちなみにわたしは、母親と正反対の顔をしている。
父親に似て、パッとしない顔なのである。
一重だし、頑張って二重にしたところで、瞼が弛んでいるようで目に光が入らないのが気に入らない。
おでこが狭くて平べったいし、鼻も丸くて筋が通っていない。
おまけに歯並びも悪かった。矯正して綺麗な歯列を手に入れたけれど、元から綺麗だったらこんな手間も暇もお金も痛みもなかったのになと思うと、心の端の方がチクリと痛む。
母親に似ていたら、少しは自分のことを好きになれていたかもしれないなあ、といつも思う。

料理だって裁縫だって、人並みには出来ると思っているけれど、やはり母親には敵わない。
なによりもあのセンスを超えることができないのである。
母が持っていたものはどれもキラキラしていて素敵だったけれど、わたしには自分がそれを持つ勇気も自信も無く、シンプルで無難なものを選びがちである。
20代も後半に差し掛かるところではあるが、ミニスカートを履くことは、わたしにはいつまでもできない。

要するに、わたしは母に憧れているのである。

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ある時、新しいネイルポリッシュを購入しようと思って、バラエティショップの陳列棚を眺めていた。
ふと、真っ赤なネイルポリッシュが目に入って、幼い記憶がフラッシュバックした。

それは、母のペディキュアであった。
わたしが幼い頃、母の足の指には、真っ赤な塗装がされていた。
当時は、オシャレなどがよく分からなかった上に、母の選ぶものと自分の好みとが一致しない時期だったため、赤いペディキュアに対して、何を思うこともなかった。

だが、今のわたしはその記憶に触れて、真っ赤なネイルポリッシュを買うことを決めた。
帰宅してから早速、足の指の甘皮を処理して、ベースコートを塗って、買ったばかりの真っ赤なネイルポリッシュの蓋を捻った。

すごく、わくわくした。

もう、いい大人なので、母と同じネイルポリッシュで足の指を飾ったとて、母になれないことは理解している。
それでも、憧れの人と同じことをするということが、こんなにも心躍ることだということを、初めて知った。

足の爪すべてに真っ赤なネイルポリッシュを塗り終えた後、足も心も、すごくキラキラしていた。
プロが塗るように上手ではなかったし、はみ出したし、多少ムラにもなったけれど、嬉しかった。

爪はやがて伸びる。
ペディキュアは剥げていくだろう。
気分で塗り替えもするだろう。

だけど、きっと、この真っ赤なペディキュアを塗る時は、普段よりちょっとだけ嬉しくて、わくわくするんだと思う。