小学生の頃に、私の周りで「マニキュア」が流行った。
当時買っていた少女漫画誌の付録にもよくついてきた。
私たちの周りで、持っていると「ちょっと大人になれる」アイテムだったのだ。もちろん、私も同じようにマニキュアに憧れていた。
すると決まって、「マニキュアなんてやめておきなさいよ」と母は言った。
続く理由は「臭いから」とか「そんなことまだしなくていい」とか「爪が死ぬ」とか、毎回"それっぽい"ことを言った。そして、毎回、違った。
でも本当は、臭いからでも、ませているからでもなかったことを私は子供ながらに分かっていた。

マニキュアと同じくらい、虐めることが私の周りでは流行していた

私の手は、人とは違っていて片方の手の指だけが短い。
それに加えて、爪がない。もっと言えば、生まれた時は指が全部くっついていた。
それを、度重なる手術で切り離し、指ができたのだ。
だから、今でも手術痕は残っているし、赤ジソのジュース見たいな色の、ツンとする匂いの消毒液を塗りながら、丁寧に抜糸したときの記憶も残っている。
そんな私がマニキュアを塗ったら?
当然、アンバランスになる。右手の爪、五面と左手の爪、二面だけが、染まることができる。
そんな人と違う手は、当時の小学生からしたら物珍しいに決まっていて、何度いじめられたかわからない。
マニキュアと同じくらい、私の障害や、気弱な性格を虐めることが私の周りでは流行していた。
今思えば、そんな私を母は心配してくれていたのだと思う。
「マニキュアなんてやめておきなさいよ」という言葉で、これ以上、「普通じゃない私」を広めないようにしてくれていたのだと思う。そんなふうに私の中では「マニキュアは塗らない」という暗黙のルールが出来上がっていった。

昔から「自分の障害は、早めに自分でつつく」。その時、2人は

そして、いつしか「マニキュア」を「マニキュア」と呼ばなくなるくらい時が流れても、塗りたかった。
その頃にはみんなは「ネイルした」とか言うようになっていて、わたしも「ネイル」と呼ぶようになった。
高校生になっていた。

その時、私には初めて親友と呼べる友達が2人できた。
1人は、しっかりもので、気弱な私を支えてくれるお姉さんタイプの、ユウナという女の子。もう1人は、びっくりするくらい天然でいつも心配になるけれど、その豪快さが羨ましいユイという女の子だ。
その2人が、この「マニキュアはやめておきなさい」ルールから、私を解き放してくれた。

卒業旅行で、3人でディズニーランドとシーに行くことになった。田舎者の高校生の私には、ディズニーランドはものすごく贅沢な場所だった。旅行会社でチケットをとってプランを組んだその日から私達はワクワクが止まらなくて、パンフレットを持ってプリクラを撮ったり、「あと何日!」なんてラインでカウントダウンを送りあったりした(今思い出しても本当~に楽しかった!)。
そしてその日を迎える前の夜、私は私なりに弾けて、"ネイル"を施した。

次の日の朝になって、新幹線についたとき、私の爪先の色に、ユウナが気づいた。
「あ、ネイルしてる」と目に入った情報そのままに言った。
私は次に続く言葉が少しだけ怖いな、と思いながら、「そうなの」的なことを言った(と思う)。2人のことは、全幅の信頼と言ってもいいくらい当時も今も信頼しているけれど、(どんな言葉が来るんだろう…)とは思っていた。
でも、続いた言葉は「え、いいじゃん!」だった。ユイも続いて「え、かわいい!器用だよね~、私上手く塗れなくてさ」と言った。そして2人は上手くなれない話をしていた。
私はその時、何か自分の価値観が変わった瞬間を今でも覚えている。「え、でもほら塗れるとこと塗れないとこあるんだよね」って自虐ネタっぽく言ってみた。

わたしは昔から、「自分の障害は、早めに自分でつつく」ようにしている。すると2人は、いい意味で「それで?」みたいな顔をした。「大丈夫だよ全然変じゃないよ」とか「塗れるとこだけ塗ったらいいんだよ~」とか言ってニコニコ笑った。わたしも「だよね~」って返したけど正直、泣きそうだった。嬉しくて。ガイドブックを眺めている間も、普通で特別な一言を噛み締めていた。

爪が色づいただけで、わたしの小さな世界を少し変えることができた

いいんだ、ネイルしていいんだ。ピンクも、ラメも、いいんだ。赤もいいんだ。塗りたかった色、大学生になったら全部塗ろう。ってわたしは静かに、頭の片隅で考えていた。
きっと2人は「何を当たり前のことを?」って感じだったから、もう忘れているだろうけど
私はきっとずっと忘れられないと思う。
それに、ディズニーランドに行けるくらいの、親友と呼べる2人が、その価値観でいてくれる事が何よりうれしかった。

大学生になって、私はネイルを塗るようになった。
一人暮らしだったから、そもそも止める人はいなかったけど、大学に行っても「え、そのネイル可愛い」と言ってくれる人はいても、貶す人は1人もいなかった。神様は障害を与えた分、器用さを残してくれたのかもしれないな、と自負するくらい、実は私は器用だったから、敬遠されるどころか「塗ってほしい!」と言ってくれる子もいて、そこから仲良くなったりもした。やっぱり5本そろった爪や、長さの揃った指先は、綺麗でちょっと眩しかったけど、自分にはできないアレンジを託すのが楽しかった。
わたしは自分のネイルを「できるかぎりネイル」と呼ぶことした。

実家に帰省して「えっ、ネイルしてるの」と母に一度だけ聞かれたことがあったけど、「できるかぎり、でネイルしてるの。好きだし、もう大学生になったら誰も馬鹿にしないし」と言った。
それっきり、私のネイル事情には踏み込まなくなった。
今では「その色いいじゃない」と言ってくれる事さえある。

「自分の中のルール」って、角度を変えたら、実は「自分を縛る呪い」になっているかもしれない。
だから、ちょっとだけ、そのルールを破れたら何か、変えられるかもしれないよ。
爪が色づいただけで、私は少しだけ私の小さな世界を、変えることができたから。