「ネイルとか、しないんだね」
男はよくこの質問をする。20歳を過ぎた年頃の女の爪に色がついていないのは少数派だ。
「だって派手な爪って、ださくない?」
そう答えると男が喜ぶことを、私は知っている。
女子の爪にお絵かきしてあってもなんとも思わない。男はそういう生き物だと私は思う。なにも塗らないで、つやを出すだけがモテる。清潔感がありながら自分にお金をかけすぎない、自然で純朴な演出。
モテこそが正義。ちやほやされるのが、価値。
「このままだとうつ病になりますよ」
そんな私が過労で倒れたのは、ついこの前のことだ。歩く足が重くなり、朝起きたら体が動かなくなった。
心療内科に行くと、医者が言った。
「このままだとうつ病になりますよ」
「しばらくゆっくり休んで、自分の好きなことをして下さい」
自分の好きなこと?相手じゃなくて、私が好きなこととは、なんだろうか。思いつかない。長い間、「男が私を好きになるためのこと」だけをしてきてしまったみたいだ。
職場の先輩の爪にはいつも派手なキラキラしたジェルネイルがひっついている。土日に新しくするのだと、楽しそうに言っていた。
モテとか男受けを気にしないで、好きな柄をつけているだけ。
好きなことに時間とお金を使うって、こういうことなんじゃないのか。挑戦してみたくなった。やるなら、派手にならないのがいい。かつ、私が好きと思える柄で。
悩みに悩んで選んだのは
美容アプリを使って、初めてネイルを予約した。2800円。渋るほどの値段ではないのに今まで頑なにやらなかったのは、自分を周りの女と差別化したかったからだ。
サロンに訪れてみるとマンションの一室だった。100色以上の見本から、好きな色を選ばせてくれる。ワクワクした。
「ゆっくり選んでいいですよ」
ビビッドなオレンジ。……派手すぎて、痛い女と思われる?
ラメ入りの透明。……無色でもラメは男から見ると痛い?
薄いピンク。シンプルで、いちばん男ウケしそう。
悩みに悩んで選んだのは、結局、一番男から評判がよさそうなシンプルなピンクだった。
粘度のある液体を爪に乗せてもらう。青い光の出る機械に手を入れると、じんわりと熱くなる。爪先に固まっていく化学物質を感じながら、嫌な気分になった。
男に好かれない自分を許せない
いつもそうだ。
結局わたしは、相手が可愛いと思うであろうものを選ぶ。自分が可愛いと思うかどうか?そんなのどこかへ行ってしまう。
私の感情を、どこに置いてきたんだろう。
長い間、特定の好かれたい男なんていない。それなのに、常に空から私を見守っているもう1人の私が、男に好かれない自分を許してくれない。
「3つストーンをつけられますが、どこがいいですか?」担当の女の人は日本人のように見えたが、カタコトだった。アジア系の外国人。
「普通、どこにつけるんですかね」そう聞くと店員さんはすごく困惑していた。
「あなたの好きなところにつければいいんですよ」
困った。私には、私が可愛いと思うストーンの配置がわからない。
人から見て、可愛いと思われればそれでよかった。
お姉さんは世の中の好みを決めてくれなかったので、適当に言った。
「じゃあ……えーと……ここと、ここと、ここで?」
出来上がったぴかぴかの爪を見て思う。派手じゃなく、ちゃんとお手入れしている感のある、シンプルなつや。非常にモテそうな爪だ。
後悔した。この期に及んで自分の好きなデザインにしないのかわたしは。この爪と少なくとも3週間付き合うことになる。
だけどもし、派手なオレンジを選んでいたら……数日後に後悔する自分の目が浮かぶ。「なんでこんな男受けしない爪を選んだんだ」と。
可愛いと思うものを身につけても、それが人気がなかったなら、可愛いと思えなくなる。他者評価のものさしが私にとって大きすぎるのだ。
自己中以上に他者中はなにも生み出さない
別に、その辺の男に可愛くてタイプだと思われたところで、私はその人と付き合うわけでもなく結婚するわけでもなく継続して関係を持つ訳でもない。自己満。自己中以上に、他者中はなにも生み出さない。自分が減るだけ。わかっているのに。名付けて、男から好印象を得ないと自分を保てない病。「私が好きならそれでいい」そう思えたとき、この病気は完治する。
いつか来るだろうか。重たすぎるくらい私の「好き」を詰め込んで、きらきらゴテゴテになった爪を眺めてひとりニヤニヤできる、そんな日が。
ペンネーム:ひらぴす
1996年生まれ、札幌出身、横浜国立大教育人間科学部卒。精神分析専攻。北海道からひとり横浜に飛び出した理由は「周りと同じ道を歩みたくなかったから」。恋人に大事にされなかったことがきっかけで「女が力を持つには」ばかり考えるようになる。性の苦しみをすべて詰め込んだ卒論のタイトルは「刺すために生きる―男と女を破滅に導くエロス権力の正体―」。
Twitter:@hirapieces