最近、ごきげんでない気がする。なかなかごきげんを保つのは難しい。
けれどなんだかんだ「食べること」は幸せを感じるのに手っ取り早い方法だと思う。なぜなら、食べることは生きるために必要だからだ。
けれど、人間そうそう食べられるものでもない。寝だめ食いだめはできないとよく言うけれど、まさにその通りだと思う。
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私は基本1日3食食べる。まず、朝起きたら豆乳を飲むのが日課だ。お昼ご飯や晩御飯の内容はその時によって違うけれど、なんだかんだ母親が作ってくれる料理が一番美味しいと思う。恥ずかしながら。
そりゃあ、外食も嬉しいけれど、毎日外食となるとそれはそれで幸福感がなくなってしまう。勝手なもんだ。
ちなみに、最近、豆乳ヨーグルトにハマっている。ひょんなことがきっかけで、まずは少量から試してみることに。すると、思いのほか美味しいことに気づいたので、今や400gの大容量パックを数日かけて1人で食べている。
そのまま食べるのも美味しいけれど、はちみつをかけて食べるとなお美味しい。はちみつは柑橘系の花のものにこだわっている。量が少ない割に高くてコスパは悪いけれど、普通のはちみつより美味しくて譲れない。
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食べることばかり述べたけれど、食べる=排泄が伴う。当たり前の話だけれど。
食べることは自分の意思である程度コントロールできるけれど、排泄はなかなか難しい。「〇時にする」といったことを予め決められる訳ではない。排泄のルーティンは人それぞれだろうけれど、これが思い通りにいかないと不安になる。
逆に排泄が上手く行っていると食事もなお楽しい。人間の体はロボットじゃない。自動販売機みたいにお金を入れたら必ず飲み物が出てくるように食べたら自動的に出る人もいるかもしれないけれど、それが必ず保証されている訳ではない。もちろん自動販売機だって時に故障するだろうけれど。そう考えると排泄も食べることと同じくらい大切だと思う。
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汚い話かもしれないけれど、それが理由なのか、私は排泄の話を人としたことがない。でも、考えてみれば生理的欲求なんだし、例えば、「いつも何時に寝てる?」と同じようなノリで、「いつも排泄のリズムってどんな感じ?」という会話がもっと気軽に行われても良いのでは?と思う。
以前、少人数の職場に勤めていた時、否が応でも他人のトイレのタイミングがわかってしまうことがあった。私がいつも驚いていたのは、皆、即座にトイレから帰ってくることだ。正直、これに関しては窮屈な思いをしていた(それが原因で辞めた訳ではないけれど)。
逆に皆、不意に襲ってくることはないのか?という疑問もあった。1年365日毎朝スッキリなのか?大変嫌らしいことを述べているかもしれないけれど、それが不思議でならなかった。
けれど、この疑問を吐き出す場所がなかったので、今回、かがみよかがみで書いてみることにした。
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こんなに排泄にこだわっているのは私だけなのだろうか?でも、食べることと排泄はセットで捉えられるもの。排泄がスムーズでないと食べる気も失せるし、食べないと元気も出ない。つまり、悪循環だ。
もちろん、好きな場所に出かけたり、音楽を聴いたりと他にも心のエネルギーをチャージする手段はあるけれど、やっぱり、食べること、そして、それを満喫するために排泄もないがしろにできないのが私である。
普段はあまり手をつけにくい話題を取り上げたことはなかったように思う。しかし、勇気を出して書いてみたので、ややテーマから脱線してしまったかもしれないけれど、私の思いが多数の読者に届くと幸いである。