高校時代の私はいつも寂しさを感じていた。当たり前のように学校生活をこなしていくクラスメイトたちを見ていると、自分がどこか別の世界にいるような感覚というか、宙に浮いている心地がした。

中学2年生の時に難病と診断された。でも、親も自分も、聞いたことのない名前の病気の知識も浅く、入院するわけでもないから、ほどほどに普通の生活が送れるのだと思っていた。だから、高校進学を決めるときも、通いやすさなどよりも、やりたいことができる、一番行きたいと思える高校を選択した。

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ほどほどに普通の生活。これが到底不可能だと思い始めたのは高校1年の終わりだった。

高校1年の夏、体育でプールに入った後、体調を崩した。あまりに回復が遅いので病院に行ったところ、「日光に当たるなんてとんでもない!」と医者に怒られた。プールダメ、肺に負担のかかることはダメ、重い物は持たないで、長距離歩行は股関節に負担をかけるから避けて……どんどん制限が増えていき、できないことが増えた。それらに気をつけていても、体調不良の波は激しく、休んだり入院したりすることが増えた。

体育はずっと見学だった。全校で応援に行く夏の高校野球の大会も、私は学校の図書館で留守番をしていた。被災地研修にも行っていない。定期テストでさえも日程通り受けられず、何度追加日程で受けたかわからない。高校2年の修学旅行は辛うじて行けたが、帰りの新幹線で動けなくなり、先生方に囲まれながら車椅子で下車した。

高校野球や遠地の研修などはやはり思い出になる。共通の思い出話がクラスメイトの間で始まると、私は曖昧に笑って空気と一体化するよう全力で努めた。同じ話題で盛り上がれないのは寂しいし、周りが私に気を遣って話をやめてしまったりしたら申し訳ないからだ。

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寂しさのピークだったのは、大学受験ラストスパートの時期だった。私の学校では大学進学することがスタンダードな道だ。欠席が多く、休んだ分を取り戻すだけで必死だった高校生活。出席日数的に卒業できるかどうかすら怪しい私。

大学に受かったとして、大学に通う自分の姿は想像できない。それでも、周りと同じようにやるしかなくて、身体を引きずるようにして学校に行って、必死に勉強した。そして私はセンター試験1ヶ月半前に緊急入院した。

心が折れてしまった。なんで私はこうなんだろうと思った。自分の受験のことで大変なはずなのに、友人たちは私を心配したり励ましたりするメッセージをくれた。その度に、なぜ私は友人たちと同じようにできないのだろうと、寂しさと悔しさがこみ上げて涙がとまらなかった。

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社会人になってから気づいたが、やはり学校という集団生活の中では、嫌でも周りと比べてしまう。それ故に、寂しさや悔しさや孤独を強く感じてしまう。社会に出てやっと、自分と同じ境遇の人とつながる術を知ったり、比べて落ち込む隙がないくらい「人」って様々なんだと知った。

学校という狭い社会で寂しさに追われた私ができること。それはやっぱり、自分の体験を伝えていくことではないかと思う。そうして、あの頃の自分と、私と同じ寂しさに苦しむ誰かの力になれたら、これほど嬉しいことはないと思う。