ひとりで時間を過ごすことは嫌いではなかったはずだった。

◎          ◎

ひとり暮らしを始めたとき、私は私自身の経済力で部屋を借りることができる女なのだ、という自信が生まれた。母はひとり暮らしを経験せずに結婚したので、母にできなかったことを私はできたのだと、誇らしく思っていた。

しかし、数年がたち、週末を迎えるたびに、私はこれからもずっとずっとひとりなのだ、という気持ちにとらわれて涙を流してしまう時間が増えてきた。

◎          ◎

初めてマッチングアプリを使ったのは26歳のときだった。最初に出会った相手を好きになり、お付き合いすることになった。彼のことがとてもとても好きだったが、一緒にご飯を食べに行ってもずっとスマホを見ていたり、私が言ったことをあまり覚えていなかったり、家に遊びに行っても仕事をし始めてしまったりするので、ふたりでいるのに、ひとりのときよりもさびしいな、と思っていた。

彼に別れを告げてから、無理やりにでも気持ちを切り替えようと再び婚活を始めた。毎週末、いろいろな男性に会った。私にまったく興味がなさそうな人、値踏みするような視線を隠さない人、就職面接のように矢継ぎ早に質問をしてくる人。せっかく自分のことを気に入ってくれた優しい男性が現れても、元彼と比べてしまい、誰のこともいいなと思えなかった。好きでもない男性と週末を過ごすのは、ひとりでいることよりもさびしいことだと知った。

まだ好きでもないし好きになれるかどうかわからない相手のために早く起きて準備をし化粧をし、デートに向かう自分がひどくみじめに思えた。人と比べることではないと思いつつも、周囲の友人たちは結婚しているのに私は何をしているんだろう、と考えるとまた涙が止まらなかった。

◎          ◎

今考えると、元彼を想うさびしさを消化してから次に進めばよかった。別の男性に出会って好きになってしまえば元彼を忘れられる、と思って無理やりがむしゃらに動いていたが、誰も好きになれない自分が嫌になり、パートナーがいる友人と比べてさらに自分が嫌になり、心が疲弊しきっていた。

その後、少し経ってから今のパートナーと出会うことができた。今会っている人たちとうまくいかなければ実家に戻って暮らそうかな、と思い始めていた矢先のことだった。そう思うことで、私の心が誰かを受け入れられるくらいにゆるんだのかもしれない。そして、あのときがむしゃらにでもいろんな男性と会って経験を積んだからこそ、今のパートナーと出会うことができたのかもしれない、と考えられるようになった。

今のパートナーと一緒に暮らすようになり、さびしさとの向き合い方も変わった。ひとりの時間を、今までよりも安心感をもって楽しむことができるようになった。カフェで読書をしたり、近所を散歩してみたり、家でゴロゴロと過ごしていても、夜には彼が帰ってきてくれる。なによりも、普段から愛情をもって接してくれているから、さびしいと感じる暇がない。

◎          ◎

いつかまたひとりになることがあっても、さまざまな形のさびしさと本当の愛を知った私は、もう大丈夫かもしれない。