このごろ急に暑くなってきた。服装が軽くなり、肌の露出が増える季節になると、毎年「脱毛どうするか問題」に直面する。

小学生のころから毛深い手足がコンプレックスで、習っていたバレエのレッスンではいつも周りの子たちと自分の腕を見比べては落ち込んでいた。中学生になってからは、同級生や雑誌の影響で「毛をなくさなきゃ」と思い始め、いろんな脱毛方法を試した。

結論、どれもお金もしくは手間がかかる。

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最初に試したのは除毛クリームだった。痛くはなかったが、塗ったあとは10分ほど放置しなければならず、お風呂の中で使うと湯冷めしてしまう。さらに全身を脱毛しようとすると1回の消費量が多く、コスパを考えてやめた。

次にカミソリを使ってみたが、背中や腕の後ろ側など見えにくい部分には怖くて使えず、剃り残しがムラになってしまった。しかも当てるのが下手なのか、せっけんがきちんとついていないのか、使うたびに流血する。傷のかさぶたが跡になって残ることもあり、こちらも使うのをやめてしまった。

大学の卒業が近づくと、脱毛サロンに通い始める人がちらほら増え始めた。「全身つるつるになろう」「100円から始められる!」などうたう広告が気になってはいたけれど、「予約が取りづらい」「やっぱり高い」とこぼす友人を見て、「自分も!」とは思えなくなってしまった。

そんなこんなで情報収集にも疲れ、半袖から長袖にシフトする季節になり、手足の毛を完全に放置していた。しかし先週彼氏に会ったときに「毛を剃らないの、なんか清潔感がない気がしていやだ」と言われてしまった。自然に生えてくる毛をそのままにしておくのは、不潔なんだろうか。

言われてみれば脱毛は「毛の処理」とか「お手入れ」と表現されることが多い気がする。そう考えると、「毛の処理をしていない=お手入れをさぼっている」になってしまい、「身だしなみを整えていない」「清潔感がない」と思われてしまうのだろうか。頭に生える毛に対しては、そう思わないだろうに。

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しかも脱毛には、美容の中でも「楽しい要素」がかなり少ない。化粧や服装、髪型を変えれば「見せたい自分」に近づけられるし、自分の見せ方をあれこれ模索する楽しみもある。でも脱毛は、自分の毛をなくすだけ。「きれいになる」のは同じかもしれないが、厳密に言えば「恥ずかしくない見た目になる」がゴール。これは前向きにやろうとは思えないなと納得した。

「毛が生えていない手足=清潔、きれい」のステレオタイプは確かに存在する。電車に貼られている脱毛サロンの広告からは、「女性なんだから(最近では男性も)脱毛しなきゃ」というプレッシャーすら感じる。自分の体のことなのに、どうしてこんなに窮屈なんだろう。

せめて、脱毛が白髪染めと同じくらい「やってもやらなくてもいいもの」になればと思う。白髪は年を取るにつれて増えていくものだけど、黒髪を維持するために髪の毛を染める人もいれば、グレイヘアを楽しむ人もいる。「白髪は年寄りの象徴。恥ずかしいからなくさなければいけない」という考えはかなり薄いのではないだろうか。
「脱毛どうするか問題」も、自分の意思だけで決められる世の中にならないかな。