クソみたいな4年間の、恋愛とも呼べないような、ただの執着と呼んだほうが正しい関係が終わったとき、私は25歳になっていた。
◎ ◎
それから2年ほど経ち、ひとり暮らしのなかで感じる孤独に限界を感じて婚活を始めた。とはいえまともな恋愛をしたことがなかったので、まずは異性と話す練習、と思いマッチングアプリを始めた。
最初に会った年上の彼をすぐに好きになり、お付き合いすることになったときはとてもうれしかったが、1か月ほど経つと雲行きが怪しくなった。だんだん連絡が減ってゆき、メッセージの返信は1週間ほど経ってからくることもあった。寂しくてたまらず、電話が欲しい、と勇気を出してお願いすると3日後に着信がくるようなペースで、けれどもまったくの音信不通になるわけでもなく、彼自身がさみしい時にだけ連絡をしてきて、私の彼に対する好意の、うまみのような部分だけを搾取されているような感覚になる日々が続いた。
◎ ◎
そんなとき、大学の友人に彼とのことについて相談した。彼女はとても明るく聡明でアクティブ、今は仕事をばりばりこなしていて、学生時代から私の憧れでもあった。以前、私が件のクソみたいな男に執着をしていたときも、「あなたが嫌がることをするというのは、あなたに暴力をふるっているのと変わらないよ」と言ってくれたことがある。当時、彼女のまっとうな助言を無視してそれでも彼にしがみついてしまった自分が今は恥ずかしくてならないが、そんな私ともいまだに仲良くしてくれている。
あれから数年経っても恋愛で悩んでいる、しかも今回もまた相手に大切にされていないという事実を吐露するのはとても恥ずかしくて情けなかったが、彼女はただ、「あなたが思う存分、満足するまで好きでいたらいいんだよ」という言葉をかけてくれた。彼女のその言葉を何度も心のなかで反芻しているうちに、霧が晴れていくような感覚になった。なぜ私は、私を大切にしてくれない人を好きでいるんだろう、とこのときはじめて気がつくことができたのだ。
◎ ◎
正直、私は彼女に相談したいと思いながらも心のどこかで、また彼女にまっとうな助言をうけるのが怖いと思ってしまっていた。その怯えを彼女が読み取ってくれていたのかはわからないが、彼女が私の気持ちに寄り添い、愛を持って助言してくれたことで、私は自分自身で答えにたどりつくことができた。
それからすぐに彼に別れを告げた。別れたことを彼女に報告すると、「彼に対するあなたの心が満腹になったんだね」と、私の気持ちを的確に表すメッセージに、満月の絵文字が添えられていた。
◎ ◎
その後、さまざまな出会いと別れをくりかえしたものの、今年の春にパートナーに出会うことができた。お付き合いをしていくなかで、私が勇気を出して「電話が欲しい」と連絡すると、今の彼は「じゃあ会いに行くよ」と言って迎えに来てくれた。
この秋から一緒に暮らし始め、愛の与え方と受け取り方を彼から学び、私は日々成長しているように思う。この先の未来がどうなるかはわからないが、友人と彼に、愛を返していきたいと思う。