「あーちゃんは赤が似合うね」広がり続ける可愛いピンクと私との距離

ピンク色は可愛い。それは多くの人がピンクという色に対して抱くイメージだと思う。特に、幼い頃、可愛いピンク色の物を手に入れたり、身につけたりすることは、多くの女の子たちにとって憧れだったはずだ。私も、可愛いピンク色が大好きだった。ピンク色で可愛いプリキュアが大好きで、幼稚園の頃の将来の夢は、ケーキ屋さんでも、お花屋さんでもなく、「キュアブロッサム」だった。自分もプリキュアと同じように、可愛いピンク色になりたいと切望していたのだろう。
七歳になって、七五三のお祝いに写真スタジオで着物を着て家族写真を撮ることになった時も、私は迷わずピンク色の着物を選んだ。可愛いピンク色の着物に袖を通して、気分がぱあっと明るくなる。自分が可愛いピンク色を着ると、可愛い自分になれているような気がした。しかし、写真スタジオのお姉さんが持ってきた帯は黄緑色だった。たしかお姉ちゃんが七五三でピンク色の着物を着ていた時は、帯がピンク色か赤色だった気がする。私も可愛いピンク色の着物なら、帯も可愛いピンク色がよかった。そんな不満はあったけど、仕方がなく、そのまま黄緑色の帯を巻いてもらった。私には可愛いピンク色は似合わないのかもしれない、その時、そのような疑問が初めて生まれた。
七五三のお参りで神社に行くときには、母の意向で、赤色の着物を着ることになった。神社で撮った写真を見返しながら、母はこう言った。「あーちゃんは、やっぱり赤が似合うよね」似合うと言われて純粋に嬉しかった反面、やはり私はピンク色が似合わないと言われたように感じた。お姉ちゃんは母に「ピンク色が似合う」と言われていたのに。お姉ちゃんは色白なのに対して、私は色黒だからなのだろうか。可愛いピンク色と私との距離がだんだんと広がっていく。
ある時、近所のおばさんから、手作りの2つの帽子のストラップをもらったことがあった。その時おばさんは、姉にはピンクと紫の花柄の帽子に、白いレースとお花が縫い付けられた、可愛い帽子の方を、私には和風な紺色の柄の帽子に、クリーム色のリボンが結ばれただけの、質素な帽子の方を渡してきた。もらった後で、私は、「なんで私の帽子はお姉ちゃんのと違うの」と母に不満を言った。母は、「どっちの帽子もそれぞれに似合うように作ったんじゃない?」と答えた。
色白の女の子は、「可愛い」ピンク色が「似合う」、それゆえ「可愛い」のだろうか。このことの根底には、西洋風が可愛いとか優れているとするような意識があるような気がする。どうして肌の色が黒かったら、「可愛い」ピンク色が似合わないと決めつけられるのだろうか。どうして、肌の色が黒いだけで、「可愛い」ピンクが遠のいてしまうのか。肌の色が黒くてピンクが「似合わ」なくても、「可愛い」ピンクを身につけたっていいじゃないか。女の子は誰だって可愛くなれる権利がある。
ピンクは確かに可愛い。しかし、「色白の女の子はピンクが似合う」として、ピンク色が「似合う」のを色白の人に限定するべきではない。色眼鏡で見なければ、肌の色なんて関係なく、誰だって可愛いピンクが似合うのだから。固定観念を変えることは難しいかもしれない。そこで、あえて私は、日本人である身として、赤とか黄色とか、もっと東洋を彷彿とさせるような色も可愛いと言うべきだと言いたい。どの色も可愛いということをもっとシェアしようじゃないか。
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