誰もが何かを推す時代。
そんな今だからこそ私は「推し活はほどほどに」と言いたい。

私自身の推し活の始まりは、中学の入学祝いにもらった音楽プレイヤー。1曲も入っていない、空っぽのプレイリスト。特に好きな歌手もおらず、どんな曲を入れたらよいのか悩んだ。
そこで初めて気がついた。アイドル、ダンスグループ、K-POP歌手、キャラソンを歌うアニメキャラ。クラスの同級生には、それぞれ推しがいるのだ。そしてそれらの趣味は、推しとの擬似恋愛と同義であり、男子がいない女子校という環境で何よりも重視されていた。

友達は皆、コンサートで好きな人に会えたことにときめき、ネットの悪い噂に落ち込む。好きな人が被った後輩に「ファンをやめろ」と攻撃する人もいた。

推しがいなければクラスメイトとの恋バナに混ぜてもらえない。焦った私は、とりあえず当時ヒットしていたバンドAのファンになろうと決めた。ファンに「なった」ではなく「なろうと決めた」というのは奇妙な表現だが、とにかく早く好きな人を決めてしまいたくてAのCDをレンタルするようになった。

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そうして始めた推し活は、意外にも悪くはなかった。憧れの恋バナに早速誘われたし、Aの曲は普通に素敵だった。
さらにその頃、双子の姉はアニソンのCDを借りるようになり、好みの違いが明らかになった。いつも「双子でおそろい」ばかりだった私にとって、Aという「自分だけの好きなもの」ができた感覚は、新鮮で嬉しかった。

それからというもの、私は自分の生活をAに染めようと躍起になった。
家族や友人とカラオケに行けばAの曲ばかり歌ってファンであることをアピールした。
お小遣いも全てAのグッズに費やし、華のティーンでありながら服やメイクには文字通り1円も使わなかった。A一筋でありたかったから見た目にも無頓着。高校を卒業するまでドライヤーの使い方すら知らず、学年一の不潔な子として過ごした。それこそ卒アルの撮影に来たカメラマンさんが苦笑するレベルに。

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今だからこそ、あれは異常だったと判断できる。
少数派とはいえ、推しを作らずとも平和な学校生活を送っている人だって一定数いたのに、なぜあんなにも推しを作ることに執着してしまったのだろうか。

当時を振り返れば、中学受験を機に、周りから上手いと評価されていた絵画とピアノをやめた私には、特技と呼べるものが何も残っていなかった。

その上、双子である私は、とにかく誰とも違う何者かになりたかった。ほんの片時でも、何の属性もない自分でいることが耐えられなかった。だから手っ取り早く「Aのファン」になることを選択してしまったのだと思う。

私が中3の時、Aは不祥事で活動を休止したのだが、彼らの歌が聞けなくなることよりも、バンドが解散して「Aファンの私」を名乗れなくなることが不安で号泣していたのを今でも明確に覚えている。

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長い迷走を経てようやく目が覚めた私は、自分軸を見つけるため、大学でたくさんの能動的な活動にチャレンジした。アパレルのマーケティング、学生団体、ダンスに歌......なかなか心から興味を持てるものが見つからず、本当に苦しかった。

習い事の体験の帰りは、居場所のなさで毎回涙が止まらなかった。それもそのはず。今まで推しに生きがいを委ね、自分を知る努力をしてこなかったのだから当然だ。それでも挑戦の数をこなす中で、真の「好き」を見つけ、思い出していった。

自分探しが辛い中、読書が息抜きになった。推しなど気にしていなかった幼少期は、お絵描きとシール集めに夢中だった。ファッション誌にも興味があり、画用紙を100ページ近く繋げて雑誌を自作したこともあった。どれも、どうして今まで忘れていたのだろうと拍子抜けするほど大好きな趣味ばかり。
周りから見た自分像のためではなく、ただ純粋に「楽しそう」「好きだな」と思うことに時間やお金を使う。それこそが、ありのままの自分らしさを作ってくれるのだとやっと気づくことができた。

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もしあの頃の私のように、何者かになろうと焦っている人がいるのなら、安易に推し活の波に呑まれないでほしいと思う。
確かに、推しがいれば日常が輝き出す。推し活仲間ができて、ライブにイベントに聖地巡礼と、お出かけ先は無限にある。服や雑貨だって推しカラーを選べばハズレはない。そして何より「推しが大好き!」という気持ちが頑張る力になる。

しかし、そうやって手軽に生活を一括で彩ることができるからこそ注意が必要だ。自分らしさを作ってくれる日々の選択を、推しに委ねすぎるのはもったいない。
推しと同じくらい大切なものを、忘れていないだろうか。
「推している自分」というアイデンティティのために、推し活が義務になっていないだろうか。
自分が分からなくなっているのなら、推し一筋になって視野を狭めるべきではない。どうか焦らずゆっくり、本当の「好き」を見つけてほしい。