リボンに、フリル、うさぎさん。
そして、「ピンク」。
お絵かきする時、よく登場していた、可愛いものたち。

リカちゃん人形に憧れて、髪を伸ばして。
きらきらのネイルを、100円ショップで買った。

いつか、すてきな人と結婚をして。
長い髪をアレンジして、豪華なドレスを、華やかなアクセサリーと着る。
すてきなお家で、かわいい子どもに、
美味しいご飯をつくって食べる。

少女だった”自分”は、そんな夢を描いていた。

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“多様性”について、盛んに語られるようになった、この時代。
いわゆる、「マジョリティ」と呼ばれる側の人間に当てはめられる自分を生きてきた。
「女」という割り当てられた性と、イメージと。あてはまって、”生きやすい”方だったのだろう。

一方で、13歳の頃から、精神的な生きづらさを抱えた「じゃない側」の”生きにくい”人間でもあった。
“自分”ではなくて、「愛される自分」で生きなきゃいけない。じゃないと、生きられない。
そう信じなくてはいられなくて。

バイトしたお金で買った、ふわふわのファーときらきらのボタンがついた、くすみピンクのコート。
はたしてこれは、自分が愛するものなのか。
愛されるために、選び取っているものなのか。
鏡に映る袖を通す姿を見ても、それが”自分”なのか、分からなかった。

時を重ねて、”生きやすい”人間としても、”生きにくい”人間としても、どちらもあるまま、しなやかな心を獲得しようとしていた。
どこまでが自分なのか、曖昧なままでも、ひとまず良いことにして進んでいた。

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2年前の春。
結婚して、苗字を夫のものに変えた。
憧れていた豪華なウェディングドレスを来て、結婚式をした。
幼い頃の夢は、形になっていた。

「 おめでとう」、「幸せだね」、と言われた。
しかし、この「幸せ」を口にしようとする時、何か”ざわつき”があった。

自分がそれを表現することが、誰かの生きづらさを生んでいるのではないか。

「愛されるためには、こうあらねば」
「”多数派”であることが幸せです」

そんな意図がなくても、だれかの生きづらさを、自分がつくっているのかもしれないと。
心のどこかに、なんとなく浮かんでいた。

そして昨年、娘を授かり、秋に出産をした。

子を産み育てることは、容易くなく。
産後うつ手前のような、ブルーな日々も、一人前の母親として生きていた。

長時間のお産のダメージで、体が起こせない。一般的な回数の倍以上の頻回授乳。
眠れない、体も重く動けない。

ずっと、家の中で、「愛されるために可愛く装う」なんて余裕のない毎日。
モノクロのシンプルなマタニティパジャマを着て、ボザボサの髪を束ねていた。

母とは、“自分”を横において献身的にあらねばならない。
そんな、これもまた「世の中のイメージ」を生きようとしていた。

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そんな日々の中。
何気なく手にとって、それまで、ずっと使っていたのに、
なんだか、ある日、その輪郭がはっきりとして写ったものがあった。

ピンクの育児ダイアリーだった。

幼い頃の文房具のように、可愛らしいモチーフであふれ、キラキラの装丁もついていた。
絶え間ないお世話の記録を、うつろな目で書く横で、ふわふわのうさぎさんが笑っていた。

やっぱり、わたし、ピンクがすき。

自分が分からなくなっていた先の、目まぐるしい日々。
ときめくものが、心を癒やし、「”自分”を生きていい」と言ってくれた。

その数日後。
夫に娘を見てもらいながら、美容室に生きふわふわのパーマをかけた。
まつパをして、きらきらのアイシャドウで、瞳を輝かせた。
身にまとった授乳服も、くすみピンクのニットワンピだった。

結婚式の時、わたしがDIYしたものたちを見て、幼い頃お世話になった叔母から声をかけられた。

「やっぱり、こういうのが好きなんだね」、と。
帰省して家を訪れた時、ずっと取っておいてくれた物だと見せてくれた。
紙粘土で手作りした、贈り物。

ピンクのリボンをつけた、うさぎさんだった。

愛されるために生きていたと思っていた”自分”は、ちゃんと、「生きたくて生きていた”自分”」だった。

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2025年、ピンクの手帳を買った。
育児ダイアリーと同じ作家さんの、可愛らしいデザインの詰まったもの。
手帳には、今年をどう生きるか書くスペースがあった。
自分のときめき、「好きを愛する自分を生きる」と書いた。

娘には、どのような”自分”を生きていっても、それを阻むことのないように。
出来るだけ、「あなたは女の子だからピンク」という子育てはしたくないと夫と話している。

貰い物以外はこだわらず、自分たちで選ぶものは、さまざまな色や雰囲気のものを渡していっている(と、言いつつ、ついつい自分の好きな可愛らしいものを選んでしまうが)。

彼女が自分の色を見つけていく旅路が、穏やかで明るくあることを祈りたい。

この世の中は、「多様性」というものに、どんな答えを出していくのかは分からない。

ただ、わたしは、ピンクのケースに入ったスマホで、力強く、でも、軽やかに。
今、ここに、こうして自分の意思を書いている。