暮らす人たちの息づかいを知る。心を耕し、家族について考えた留学

大学1年を終えた頃から数ヶ月間、1学期分のカナダ留学は、今思えばすべてが夢のようだった。言語の違いはもちろん、生活の些細なことや、人に対する接し方や考え方、価値観など、「文化」という大きなくくりの中の無数の違いが、留学中は新鮮で、今ではとっても懐かしく感じる。些細というのは、コップやトイレットペーパーの大きさから、その土地での休日の過ごし方までさまざまである。
留学生活での一番の収穫は、自分の持つ家族像の変化だった。日本で普通に生きていて、他人の家庭に短期間住み込む経験はそうそう無いし、よその家庭について気になったことがあっても、他人に根掘り葉掘り聞くわけにもいかないだろう。その点、ホームステイは、実際に他の家庭に入りながら過ごせる非常に貴重な機会だった。
私のホストファミリーには、両親と小学生の子どもがふたりいて、メキシコから来た高校生の子もいて、犬が1匹と猫が2匹いた。生活はとても賑やかで、皆で食べる夕食が毎日の楽しみだった。
こうした日々を過ごして、私は、多くの「自分の家とは違うところ」を間近で見ることができた。具体的には、学校の事や家庭の教育方針、親子の接し方など家族にまつわることが多かった。ホストファミリーは、子どもの意思を尊重しつつ、より広い方へ導いていく子育てをしていて、とても学ぶところが多かった。
食卓では、ホストファザーやホストマザーが作ったご飯が並べられ、夕食を食べながら、お互いが今日どんなふうに過ごしたかを話す。それは子どもたちだけでなく、留学中の私たちも、両親も、みんな話す。楽しかったこと、難しかったこと、頑張ったこと、少し嫌だったことも全部、順番に話していく。
この時間を通して、英語を話す機会を得ることができて自信に繋がったし、なによりも、日々感じた小さなことを取りこぼさずに過ごせた気がする。
ホストファミリーのかける言葉や接し方から、家族でお互いに支え合っていくという精神が家庭の基盤として作られているのを感じて、本当に心休まる場だった。
自分がもし家庭を持つなら、こういう居心地の良い場所にしたいと思った。
それから、コミュニケーションの大切さを改めて知った。普段ならば、家族ならわざわざ言葉にしなくても伝わるだろうと、コミュニケーションをどこかサボっている節があって、小さな声かけや相手への態度が少しずつずさんになってしまっていたのだと、ホームステイ生活で気づいた。
留学中は、ステイ先の安心感からか、ホームシックにはならなかった。日本にいる自分の家族のことをたまに思い出して、ときどきお土産を考えるのが楽しかった。
そのままの自分の家でも、もちろん落ち着くけれど、ホストファミリーの家のエッセンスを自分の家に持って帰れるのもホームステイの良いところだと、帰国後に思った。
留学で視野が広がったというのはよく聞く話だが、私は、その広がりに加えて、「耕された」という感覚の方が自分には合っていると思う。
例えるなら、これまでの顕微鏡の性能上同じように見えていたものが、高性能な新型の顕微鏡で見たら、実は違う種類の生物だった!みたいな感じだ。
留学に行く前は、海外未経験だった私にとって、海外に行くことそれ自体が、自分を180度変える何かだと信じていた。
しかし、行ってみたら、それは少し違った。
実際は、今まで持っていた軸は思ったよりもぶれずに、その軸の厚みがどんどん分厚く、どんどん肥沃になっていく感じだ。
ひとつの物事を捉えるときに、海外での生活で手に入れた別の視点が加わる。今まで気づかなかったことが見えてくる。
留学は、学問的な学びに加えて、そこで暮らす人たちの息づかいを知ることも含まれていると分かった。
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