DINKSにもワーママにも決めきれないから、今は夢は持ちたくない

最近、「私って何をしたかったんだっけ」と思う回数が増えた。
仕事は楽しい。
たまに、面倒くさいなと思うこともあるけれども、リモートワークとフレックス制のおかげで大学院とも何とか両立できている。
1週間のうち半分は出社というルールを無視し、実は週1〜2回しか会社に行かず、ほぼリモートワークにしていることはもう上司も見てみぬふりをしているとは思うが、のびのびとやらせてくれるし、ちゃんと昇給もした。
私生活も楽しい、はず。
平日はほぼ自炊し、週末に1〜2回、近所の回転寿司やファミレスで外食し、ご夫婦で営まれている個人経営のケーキ屋さんでスイーツを買ったりする。
コストコの会員カードを持つ友人が近くにいるおかげで、18個入りのクリスピークリームを大人買いするということもできる。
飲み会はお互い2〜3週間に1回くらい。多すぎもせず、少なすぎもせず。
私は現在26歳にして、人妻2年目に突入し、最近1〜2週間に1回は、「私は産まなくていいのだろうか、私はいつになったら産む決心がつくのだろうか」という不安がやってきて、飲み込まれてしまう。
毎日は楽しいけれども、結婚によって少しずつ「個」の割合が減り、「家族の構成員」という役目の割合が増えてきたことで、「個」としての「夢」が何だったのか分からなくなってしまった。
結婚する前の「個」としての夢はたくさんあった。
広告代理店に勤める私としては、いつかアワードで賞を取るのが夢だった。
海外旅行好きの私としては、オーロラを見にいくのとマチュピチュに行くのが夢だった。
青い服に合わせて、青いパンプスを選ぶくらいおしゃれが好きな私としては、歳をとっても女性らしさを失わずにいることが夢だった。
結婚したことで、子供を産むことに一歩近づき、子育てしながら働く女性、いわゆるワーママがよりリアルな存在になった。自分の姉もワーママの1人。
姉を見ていると、「個」としての夢を諦めたんだろうな、という気がしてしまう。諦めたのではなく選択したという人もいるだろうし、もちろん、「夢」を持ち続けているママさんもいると思うけれど、すごいなぁの一言に尽きる。
社会人ながらもこの4月から大学院に通い始めた私は、平日週4日は授業があるため、17時には終業している。
毎日必死に仕事を圧縮しながら、お昼休みを削りながら生きているわけだが、ふとした瞬間に「えっ子供がいたらこれよりも大変ってこと?」と思ってしまった。
子供は自分の想像通りには動いてくれない。
忙しい朝なのに牛乳をこぼすだろうし、大事なプレゼンの日に限って体調を崩すだろう。
大人な2人の夫婦生活だからこそ、私が平日に大学院に通い、夜に帰宅しても夫は餓死することなく生きていて、私が大学院の課題に追われている時には静かな環境を作ってくれる。
「子供を産むか産まないか」の第0問の問いからぶつかってしまう私にとって、「結婚式を挙げて、新婚旅行に行って、マイホームを探して、少し落ち着いたら子供」という流れを3年くらいで成し遂げてしまう周りの女性が羨ましい。
そう考えると、まだ子供を産むのか決めていない私にとって、夢を作るのが怖くなるのだ。夢を作ってしまうと、それが子供のせいで成し遂げられなくなったと考えてしまいそうだから。
「オーロラを見に行く」という夢は夫婦になってから、新婚旅行で叶えることができたけれども、私という1人の人物だけに関係する夢を作っていいものなのか、それともこれからの夢の主語は全て2人なのか、あるいは子供も含めた3人や4人になるのか。
夢を持つことは人生に輝きを与えてくれると思うけれども、生き方を束縛してしまう気もする。
あえて夢を持たないことで、私の心配事が減り、心が少しは安定するのであれば、あえて夢は持たずに、「できれば〇〇したいなぁ」くらいの希望で留めておくのがいいのかもしれない。
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