自分の髪について他人からコメントをされるのが、何よりも嫌だった。

中学1年生の頃、それまでのおかっぱスタイルを卒業したくなって、少し段の入ったショートカットにした。
髪を切ってから初めて学校に行った日、他のクラスの女子生徒数人が、教室の後ろのドアから私をニヤニヤと見つめていた。「あの髪の毛、何?めっちゃおもろ!!」そう聞こえた。
どうやら、髪質に合わない髪型にしてしまったらしい。
屈辱、恥ずかしさ、惨めさ、全てが一気に押し寄せて、消えてなくなりたかった。

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私の髪はその頃、それまでのさらさらヘアはどこへやら、急激にウネウネと癖を出し始めた。癖毛の扱いを理解せずにショートカットにしたから、アホ毛は飛び出すわ髪全体が浮くわ、確かに美容意識が高い女子に言わせてみれば「ありえない髪型」だったと思う。

そこからというものの、何かと髪についてコメント、というか苦言を呈されることが増えた。正確にいうと、私の心は髪に対するネガティブコメントを逐一丁寧に拾っていった。

「ぼわんぼわんの髪」
「ボリューミーだね」
「マリモみたい」

言われるたびに惨めになって、お願いだから触れないで、と思った。

もちろん私がもっと熱心にヘアケアや癖毛の扱いを勉強して、お金をかけて改善に努めればよかったのだろう。けれど、髪にコンプレックスを抱いた私は、気付けば自分を大切に扱うことも忘れていた。自分にお金と時間をかけることを、許可できなかった。

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そんな私に転機が訪れたのは、1年足らず前のこと。YouTubeで偶然、とある動画が目に入った。「癖毛の人専門のカット」を強みにするその美容院の発信では、私よりも強い癖毛の人たちが、癖を活かしたカットによって、とっても素敵に生まれ変わっていた。

動画では、施術を受けた人たちが、鏡に写る自身を見て、パッと華やいだ表情を浮かべる。

「カワイイ!」「びっくり!」

髪に対して卑屈な思いにまみれていた私の心に、光が灯った。

自分の癖毛を、好きになる方法があるのかもしれない。

それから数ヶ月後、初めて「癖毛の人を専門に扱う美容室」を訪れた。
希望は、肩に付くくらいのセミロングから、癖毛を活かしたショートボブにすること。
「#癖毛カット」で数日間SNSを検索して辿り着いた、「なりたいレングス」だった。

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「めちゃくちゃいい質感の癖毛ですね!こんなシートボブ、いかがでしょうか!」

ワクワクと不安が入り混じった気持ちで希望を口にした私に、美容師さんは「待ってました!」と言わんばかりの明るい表情を浮かべ、いくつか髪型を提案してくれた。

これまで、癖毛を抑える方法ばかりアドバイスされてきた。こんな癖毛、と思ってきた。
それを、”いい質感”と言ってもらえるなんて。にわかには信じられないけれど、嬉しかった。

私の癖をよく観察しながら、美容師さんは気持ちいいくらいにザクザクと切っていく。
鏡に写る自分が、照れくさそうに笑っている。
不安はもうなかった。

カットを終えた私の心は、長い間漂っていた低い雲がなくなったかのように、すっきりと晴れ渡っていた。
かつて「ぼわんぼわん」と言われた癖毛は、美容師さんの手によって、おしゃれなパーマ風に様変わりした。
この髪質だからできたのだ。
普段自分のことをあまり良く言う習慣がないけれど、その時ばかりは「カワイイ」と声が漏れた。
間違いなく、なりたかった自分だ。

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美容院を出ると、その日は冬の終わりにしては暖かくて、陽光に春の香りを感じた。
新しい自分として歩んでいく。心が軽やかで、思わずスキップしたくなる。

私は3歳の息子を持つ母で、当時お腹には第2子がいた。普段、自分の身なりに構う余裕はあまりない。でもその時は、美容院に行ったその足で、行きたかった洋服のセレクトショップを訪れた。試着して、着たい服を選んだ。とても幸せだった。

自分の髪を見られたくない、そんな鬱屈した思いが心から消えるのは、思った以上に心地よかった。

髪のことを話題にされるのも、怖くなくなった。
髪型を変えてから、周りからはたまに「パーマなんですか?」と聞かれる。

「いえ、全部地毛です。癖毛なんですよー」

卑屈にならずに堂々と答えられる。そんな自分が、一番なりたかった姿かもしれない。