私が好きになる人は必ず誰にでも優しい人だ。

おじいちゃんにも、年下にも優しい。もちろん女性にも。だから、周りの皆から愛されている。同性のファンもいる。そんなところも好きだが、たまに苦しくなる。特別に優しくしてくれるのは私だからじゃない。そう思うとムッとしてしまう時もある。

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今好きな人もそんな人だ。職場の先輩だが、職場の全員がその人のことを好きなんじゃないかな?というほど好かれている。まずは何と言っても優しい。私が1人でいると声を掛けてくれる。お菓子もくれる。あとは、女性が喜びそうな言葉もかけてくれる。

「髪切った?」とか「可愛い」とか。弱音も吐いてくれる。決してそんなことはないのに仕事に対してのプレッシャーだったり、日常の寂しさも吐いてくれる。はたまた、頼れる部分もある。私が仕事のミスでパニックになった時は、冷静に次すべき行動を教えてくれる。ここまで長々と愛を語ってしまった。「じゃあ、幸せになればいいじゃん?」そういうことを言う人もいるだろうが、唯一の欠点。それは相手が既婚ということだ。

子供の話や奥さんの話も聞く。心の中ではジェラシーを抱えることもあるが、彼が大切にしているものは私も大切にしたい。彼がスマホの待ち受けにしている家族写真越しで彼の家庭を想像する。家庭の不満を聞くこともあるが、「きっと時間が解決しますよー」なんて心にもないことを言ってみる。同僚が「先輩って実は奥さんのこと好きだと思うんです」とか聞いても何も思わない。私の前では家族の愚痴を言っている彼しかいない。

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別に2人で遊びに行ったりもしないし、誘わない。職場で毎日会い、挨拶を交わし、しょうもない会話をたまにする。そんな当たり前がとても幸せだと思う。私は好きな人には幸せでいて欲しい。「それで幸せなの?」と聞かれるとよくわからない。でも、友達未満恋人未満で付き合ってない時って一番幸せじゃない?とも思っている。

あ、勝手に脳内友達以上恋人未満の相手に仕立て上げているだけですが。たまに仕事で二人きりになる時はある。別に手が触れるわけでもない。お互いに適度な距離感を保っている。向こうも近づいてきたりしない。だからオッケーでしょ。

「好きな人が幸せならいい」という考え方は誰にも理解されない。「自分が幸せになれないんじゃない?」本当にその通りなのだが、それでも幸せだと思う。私はその人の一番にはなれない。なので、適度に外の世界も覗いてみる。向こうからしたらただの後輩だし。そんなこと考えてる間に新卒の後輩が話しかけてる。あ、笑ってる。罪な人だ。

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この人のことは周りには「推し」ということにしている。都合のいい言葉だ。最近は大体皆それぞれ「推し」がいる。飲み会の恋愛トークとかで「気になる人いないの?」と後輩に聞いても、「気になる人はいるけど見てるだけの関係で大丈夫」とか言われることが多くなった。いや、でも「推し」って好きだってことなんじゃないの?向こうから誘われたら付き合ったりすることとか期待しちゃってるんじゃないの?あれ、私は期待なんかしてないし。

「推し」に触れられない理由として、「相手がいい人すぎる」とか言う人がいるが、それはちょっとわかる。要は相手を「格上」と思う関係がそれなのだろう。本当に好きな人で自分に釣り合うと思う人なら行けるでしょ。

私の場合、「推し」が独身であったとしても、多分、行ってないと思う。断られて傷つくのが怖いのかもしれない。これは臆病なのだろうか、いや、そんなことはない。自分の幸せを守る正当な防御だ。

あ、私彼氏いますよ。今日も「推し」を見ながらモニターの影でにやついている。これは合法だからいいですよね?