「私は変わらない、社会を変える」

この言葉を初めて聞いたとき、私は少し疑問に思った。自分を変えようとせずに社会を変えようとするなんて、どこか身勝手なように感じられたからだ。けれども、あの先生の言葉を思い出すと、その考えは間違っていたかもしれないと思うようになった。

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中学3年生のとき、私は個別指導の塾に通い始めた。そのとき出会った先生は、高校生になるころに異動でいなくなってしまった。ところが、高校3年生の春、先生が再びその塾に戻ってきたと聞いて驚いた。久しぶりの再会で少し緊張したが、話していくうちに、ユーモアのある温かい人柄を思い出した。

先生は、以前教えていた生徒たちのことをよく覚えていて、一人ひとりに声をかけていた。

「背が高くなったね」「雰囲気が変わったね」

そんな言葉が続いたあと、私に向けられた言葉は意外なものだった。

「(本名)さんって、いい意味で変わらないね」

一瞬、褒め言葉なのかどうか分からなかった。他の生徒が「変化」を言及された中で、自分だけが「変わらない」と評価されたことに、少し戸惑った。しかし、時間が経つうちに、あの一言の意味を考えるようになった。先生の言葉には、「変わらない」ことへの否定ではなく、私の中にある「変わらない何か」を肯定してくれているような温かさがあった。

確かに、何かを変えるには自分を変えることが必要だ。自分を変えるとしても、社会を変えるとしても、意識と行動を変えなければ何も始まらない。社会を変えるためには、自分の言葉や態度、考え方を見直すことも求められるだろう。それでも、変えようとしても変わらずに残る部分がきっとある。それが、自分らしさの根のようなものではないかと思う。

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私は日々の暮らしの中で、「生きづらい」と感じる瞬間がある。無理に空気を読んで、周囲に合わせなければならない場面や、意見を言いづらい場面。そうしたとき、「ここを少し変えたら、誰かがもう少し生きやすくなるかもしれない」と思うことがある。社会を変えたいという気持ちは、そんな小さな違和感から生まれている。

この「かがみよかがみ」に文章を投稿し始めたころ、私はまだ、自分の考えを誰かに伝えることに慣れていなかった。それでも続けていくうちに、自分の思いと向き合う時間が増えた。気づけば、言葉を探して文章にする時間が好きになっていた。そして今でも、「自分の言葉で何かを伝えたい」という思いだけはずっと持ち続けてきた。

「私は変わらない、社会を変える」

かつて矛盾しているように聞こえたこの言葉が、今では静かに腑に落ちる。社会を変えるために自分が変わることもある。それでも、自分の中にある、大切な部分を守り続けることはできる。「変わらない」ことは、諦めでも、わがままでもない。自分の軸を持つ、ということだ。

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先生の「変わらないね」という言葉は、私にとってその軸を思い出させてくれるものになった。社会と向き合いながら、自分の考えを磨いていく。その過程の中で、少しでも誰かが生きやすくなるような変化を起こす。変わらないものを抱えたまま、私はこれからも変わり続けていく。