「教師以外の仕事に就く」  

これが、将来なりたい自分がはっきりとしていなかった私の、幼い頃からの唯一の夢だった。なぜ私がここまで教師という仕事を毛嫌いしていたかというと、私の母方の家系が全員教師だったからである。そのため、将来の話となった時には、必ず教師の話になっていた。そのたびに、母は私に教師になることを勧めるかのように、教師として働いていた日々がいかに楽しかったかをうんざりするほど話していた。

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「母の言いなりにはならない」、そんな母への反抗心が、私が教師になりたくないと思ったきっかけだった。そのうえ、昨今の教育現場は様々な問題を抱えている。いじめやモンスターペアレント、業務量の多さ、多様性の尊重など、私が学生時代に見聞きしていた教師像は、「大変そう」だという印象だった。そして、私には様々な問題に器用に対応できる能力はないと感じ、やはり「教師以外の仕事に就く」という結論に至るのだった。実際に、大学は教育とは何の関係もない学部に進学し、教員免許も取得しなかった。  

しかしながら、大学での塾講師のアルバイトの経験が、私の夢に大きな変化をもたらすことになる。私は、幼い頃から教師になりたくないとは思っていたものの、人に勉強を教えることが好きで、大学では個別指導の塾講師の仕事を始めた。生徒一人ひとりの性格に合わせながら教えることが難しく、何度も辞めたいと思ったことがあったものの、その大変さを超えるやりがいがあった。時には、遅刻常習犯だった子が授業が始まる10分前に来るようになったり、赤点常連だった子がテストの点数が20点も上がったと満面の笑みで報告してくれたりした。特に、私は生徒のきらきらとした笑顔に出会う瞬間が、最もやりがいを感じる、好きな瞬間だった。塾講師のアルバイトは、何本も枝分かれしている道でどの道を選べばよいのかわからず立ち止まっていた私に、1つの道を明かりで照らしてくれた。   

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そして、単純な私は大学4年生の就職活動時には、「教育に携わる仕事がしたい」という夢を抱くようになっていた。しかし、教員免許を持っていない私は教師になれない。だからといって、塾の先生は、人前に立って話すことが苦手な私にはハードルが高い。そう思った私は、大学卒業後、少しでも教育に携わる仕事がしたいと思い、教育系の会社の事務職に就いた。しかし、理想とは程遠く、私は自分の得意なことも好きなことも何も活かすことができない現実に直面した。毎日目標がなく、同じ日々の繰り返しに鬱々とした私は、「前に進みたい」と退職を決意した。  

その後転職し、現在は個別指導塾の講師として働いている。社会人でも教師になれることを知った私の今の夢は、「教師になる」ことである。教師として、勉強面だけではなく生活面も含めて、子どもたちの成長に携わりたい。そして、いつかは母のような教師になりたい。結局、私は現在幼い頃の夢を否定するような夢を抱いている。今思えば、人に教えることが好きだった私は、母のような教師になりたくてもなれない自分が嫌で、目を背けるように母への反抗心を持っていたのだろう。

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しかし、私は幼い頃に抱いていた夢を後悔していない。教師という仕事が嫌いだったという過去があったからこそ、教育の仕事に興味を持つことができた。そして、教師は無理だと思っていた自分がいたからこそ、講師として生徒の役に立つことができた時に何倍もの喜びを感じることができた。このように、私はずいぶんと遠回りして、現在の夢に辿り着いた。果たして、遠回りしたことが正解かなのか全く自信がない。けれども、私は近道よりも遠回りのほうが好きだ。遠回りしたほうがゆっくり考えることができるし、出会える人も場面も多い。だから、私は遠回りすることでしか見ることができない未来を見るために、今日も夢に向かって歩んでいく。