私は小学生の時から、職員室が怖かった。
小学校の職員室の扉は、たしか深緑色で、立て付けの悪い引き戸だったように思う。その扉を恐る恐る開けると、見えるのは灰色の重そうなデスク。書類が積まれて、その間に埋もれて先生方が静寂の中で仕事をしていた。重たい雰囲気がただよう大人の空間に入って行くのは、小学校の私にとってかなり勇気のいることだった。
日直になって、どうしても職員室にいる先生へ出席簿を渡しに行かなければならない時は、とても緊張した。頭の中で何を言うかシミュレーションしてからドキドキして戸に手を掛けたのを思い出す。
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中学、高校に上がっても、やはり職員室は苦手だった。小学生の時よりも勉強が難しくなって、先生に質問しに行く必要も出てきたけれど、絶対に職員室へは足を向けなかった。
怖い先生でなかったとしても、先生という雰囲気をまとった大人が恐ろしかったのだ。
先生という大人が醸し出す雰囲気を恐れていた私ではあるが、最も長く続けたアルバイトは塾の先生である。個別指導のタイプの塾で小学生から高校生を相手にしてアルバイト講師として3年以上勤めた。
先生が苦手な私が、先生と呼ばれる仕事をしていたのは、今振り返るとおかしな話だ。
でも、先生が苦手だったからこそ、塾講師アルバイトを始めたのかもしれない。
塾講師になった時、自分で決意したのは、「生徒と対話できる先生になること」である。
先生という職業は、私にとって壁のある存在だった。だから、自分がアルバイトとはいえ先生という立場になったら、そのような壁は感じてもらいたくないと考えながら働いた。
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先生と生徒が一対一で話せるという特徴から、個別指導塾には色々な生徒がいる。授業を受けて浮かんでくるたくさんの疑問を、全てその瞬間に解消したいと思って、先生を独り占めするために個別指導塾に通うような、積極的な生徒もいた。だが、私の勤めていた個別指導塾の生徒に多かったのは、積極的で明るい子よりも、集団が苦手なタイプの子だった。同世代の人と集団で授業を受ける環境では、うまく集中して勉強できないから、という理由で個別指導を求める生徒も多かったのだ。例えば、知的障害を持っていたり、話すのが苦手だったり、他人と合わせるのが難しかったりする生徒。
そんな生徒たちにも、そんな生徒たちにだからこそ、「対話できる先生」を目指して授業を準備した。
心がけたのは、塾に来て言う「こんにちは」よりも、塾を去る時に言う「さようなら」を、よい気分で言ってもらうこと。よほど勉強が好きでもないかぎり、塾という場所を楽しみにして来る子供はいないだろう。そのため、生徒には授業前の嫌な気持ちのまま帰ってもらうことは避けたいと考えていた。問題が解けるようになった喜びを感じてもらうのでもよい。宿題の出来がよくて、嬉しくなるのでもよい。おこがましいけれど、何かしら、よい気持ちを授業中にプレゼントしてあげたかった。
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その中で、私(先生)と話せてよかった、と生徒に思ってもらうことができたら、とても光栄だと考えて働いていた。働く上で、先生という人間が理由で、塾に来る生徒の気分を下げたくないと思っていた。
なぜなら、私も小中高の時には集団が苦手だったし、先生という人間も苦手だったからだ。そんな私だからこそ、個別指導タイプを求めてきた生徒たちにとっての「対話できる先生」となりたかった。
塾講師アルバイトは、学業との兼ね合いで辞めることになったが、ありきたりな表現で言えば、よい経験になった。今となっては、生徒に自分がどう思われていたかわからない。けれど、塾講師をしていた時の私の心がけが、昔の私のように、先生を恐れるような生徒の心を一人でも救っていたとしたら、ほんのちょっぴりだけ誇らしく思う。