私が忘れられないひとことは、直接言われたわけでもなければ個人で手紙をもらったわけでもない、多くの文章の中に埋もれたたった3文字の言葉でした。

私は小学生の時に、両親の意向で都立中学を受験することになりました。
二つ上の兄は小学校低学年のころから塾に行かされており、相当苦労して中学受験に臨みましたが、結果は不合格でした。
そんな兄を見ていた両親は、「やはり都立中学は倍率も高くて難しいからそう簡単には受からないだろう、でもせっかくだから記念受験でもいいから娘にも同じ中学校を挑戦させてみよう。」と私も受験をすることになったのです。
親は半分諦めていたので、私が塾に通いだしたのは小学五年生の冬でした。これは中学受験をしようと考えている子供たちの中ではとても遅いほうで、たった一年後にはもう試験が待ち構えています。

出遅れた中学受験。何をモチベーションに頑張ればいいのかわからずに

そこからは私にとってとにかく辛い毎日でした。周りの友達はみんな遊んでいるのに、私は平日も休日も夏休みもとにかく塾で勉強をさせられていました。自分が本気でその学校を目指しているわけでもなく、私よりももっと勉強していた兄も受験して落ちているような学校です。
私は正直、何をモチベーションにして頑張ればいいのかわからなくなりながらも辞めることは許されず、毎日塾へ通うしかありませんでした。

そんな中、私の塾での唯一の楽しみは数学の先生に会うことでした。私が通っていた塾は集団での授業もありましたが、主に個別指導がメインで、その数学の先生は私の個別指導を最初からずっと担当してくれていた先生でした。
もちろん塾側の事情や、先生と生徒の相性の良さなど様々な理由から先生が変わることはよくあることでしたが、運の良いことにその数学の先生だけは私のことをずっと担当してくれていました。
そして今だから言えることですが、受験までの一年間のうちに私はどんどんその先生のことが好きになってしまったのです。小学生の恋なんてとても可愛いもので、その先生に気に入られたい一心で沢山話しかけたり沢山数学を教えてもらったりするだけで私はとても幸せでした。

受験前日。配られた手帳に書かれた、たった3文字のメッセージ

そして時がたち受験前日、私を含む中学受験をする子供たちの多くが一つの部屋に集められました。そこでは塾長が受験生に向けての最後の応援や、試験での注意事項などについて話すようないわゆる決起集会が行われていました。
そしてその会の最後には、生徒全員に手帳より少し大きいサイズの長方形のなにかが配られたのです。表紙には一人一人の名前が書かれてあり、「何だろう。」と思いながらそれを開くと、そこには塾に努めている先生方全員からの手書きの応援メッセージがありました。
知らない先生から沢山お世話になった先生までさまざまで、私は好きだった数学の先生のメッセージを探しました。
そして見つけたのです、左下の隅のほうに「平常心」と。

たったこれだけ、でもその3文字だけで、少し意地悪でぶっきらぼうな先生の想いが伝わってきて、泣きそうになったことを今でも覚えています。
それから私は試験直前まで、何度も何度もその言葉を見直しました。先生がどんな想いでその言葉を書いてくれたのかはわからないけれど、私にとって好きな人からのその3文字は、何よりも私の不安な気持ちを支えてくれました。

面接や部活の引退試合、大学受験。大切な場面でいつも支えてくれた言葉

そして春、私は笑顔で数学の先生に合格したことを伝えに行くことができました。倍率10倍といわれる難関校で私の学力が通用したことは私に大きな自信を与え、その後の人生でも何事も諦めずにやればできるのだと自分を奮い立たせることができました。

面接や部活の引退試合、大学受験など大切な場面ではいつも「平常心」、その言葉を思い出して乗り越えてきました。
中学受験合格という成功体験の大きな支えになった数学の先生の言葉は、たった3文字だけれども、いつまでも忘れられない私を変えたひとことです。