山里亮太さんと蒼井優さんの結婚を見て素直に喜べなかった。というか絶望した。だって男の見た目は結局関係なくて、女を女たらしめるのは見た目しかないと思ったから。

だってあのカップルの逆バージョン見たことある?
イケメン男とブス女。私は見たことない。けどその反対は実現する。ほらやっぱり女は見た目じゃん。女がもつものは、見た目と、あと男性を欲望させるためにつくられたからだだけ。

選ぶ性、選ばれる性、女性をどちらかに分類するなら、それは選ばれる性だと私は思う。

だから女性は見た目で左右されるし、男性よりも気を遣って身だしなみを整えなければならないように感じる。女はすぐに「美人すぎる○○」と形容され、見た目と切り離して語られることは難しい。いくら仕事で認められても、結婚の有無や恋愛など、それとは別の「女」の部分で評価される。

あくまで、私の主観だけど、女性はずっと「女性らしさ」に縛られる、と思う。そして男はずっとその「女性らしさ」を求める。女性に残された道は、その空っぽの「女性らしさ」を追求して常に男性の視線を集めようとすることだけ。

けれど……私は、そんな「女性」になりきれていない、はみ出し者だ。

誰からもかわいいと言われない

小さい頃はよかった。男性も女性もよくわからなかったから。私は女きょうだいだったし、自分がどういう目で見られているかとか、全部頭の中に無くて、ただただ無邪気だった。

小学校高学年から中学生にかけて、誰がかわいいとか、誰がかっこいいとか、みんなが噂するようになった。それで私は、自分はその中に含まれる人種ではないことを知った。誰からもかわいいとは言われないし、誰かをかっこいいというのもおこがましい気がする。

ピンクは選べないし地味な色がいい。せめて目立った格好をしないといけないときは、赤や黄色を選ぼう。ピンクは避ける。だって私には似合わないから。私には不釣り合いで、恥ずかしいから。

「女」をやめて道化の道を選んだ

女の子になり損ねたけれど嫌われたくなくて、このままじゃ輪に入れなくなることを危惧して、私は道化の道を選んだ。「私なんてかわいくないから」と自虐して、男の子とは友達みたいに接した。髪はショートカットで「女らしさ」とはかけ離れた「女子」になった。女友達の中では笑わせ役。別にそうして友達として仲良くすることが嫌いなんじゃない。むしろ、そうすることで輪の中に入ることができるならそれでよかった。

でもいつもなぜか寂しかった。男の子の話の中に私が出てくることはなくて、女の子同士の恋バナで話を振られることもなくなった。輪の中にいるのに話の中にはいない。なぜか寂しくて、自分が自分じゃないみたいで、ずっと心は空虚だった。

鏡を見るたびに道化の「私」が映る

「女の子扱いされてみたい」

道化にもだんだんこんな気持ちが生まれた。周りが恋愛していく中で、私は誰かに特別な思いを抱いたり、抱かれたりすることがなかった。女友達みんながハマってる少女漫画の恋愛に憧れないわけじゃない。私を見つけてくれる白馬の王子様がいつか来るんじゃないかと密かに期待もした。

でも鏡を見ると、鼻は低いし目は腫れぼったいし、足は太いし、まるで女の体がついているのがもったいないような、道化と呼ばれるのがぴったりの、「私」が映る。

ああこんなこと思っちゃいけない。白馬の王子様なんて願っちゃいけない。私なんかが。はみ出し者の私なんかが。

私がかわいければ

私がかわいければこんなこと思う必要なかったのだと思う。いつも世界の中心にいるあの子みたいに皆から愛されて、他人の欲望も自分のものにできる。人から欲望されることはどんなに気持ちいいものだろうか。人から向けられる羨望のまなざしはどんなに気持ちいいものだろうか。選ばれている、愛されているという実感があれば、どんなに幸せだろうか。

高校生になって、大学生になって、化粧も髪の巻き方もファッションも、なんとか覚えたけど私はいまだに道化のままだ。道化のままで、誰かに選ばれたい、愛されたいとずっと願っている。

自分の価値は自分で決めるもの?そんなの綺麗ごと。
努力した分だけ自分の自信になる?それも綺麗ごと。

他人に認められないと自分に自信なんてつかない。他人に欲望されないと自分の価値なんてわからない。だから私はずっと、私の価値がわからない。

女らしさはどこにある?

男に生まれればどんなに良かっただろうと思う。男に生まれればこんな卑屈にならなかったのにと思う。

女なんて、女性なんてどこにあるんだろう。「女性らしさ」っていったいなんなんだろう。22歳になった、女性の体を借りた道化の私は、これからもこんな気持ちを抱え続けるのだろうか。身の程知らずで、空っぽで、愛されたいと願いながら、選ばれないまま生き続けるのだろうか。

ペンネーム:ちゃんみお