私は都内の某大学院に通う大学院生だ。奨学金返済におびえながら、日々論文執筆に追われている。

ただいま23歳。この歳になると、地元の友達には結婚して子供が生まれ、家庭を築く人が出てきた。 同年代の友達が、人生の大きな選択をしたことに尊敬すると同時に、不安を覚える。 私が結婚しても、幸せになる未来はないんじゃないか。

「結婚しても幸せになれない」というのは、親族一同の結婚生活や家庭内事情を知ってから強く感じるようになった。 自分の父親と母親は離婚寸前。 自分の家族がみんな「ヤベェ」家庭生活を送っているのを見ると、自分も結婚しても幸せにはなれねーなと思ってしまうのだ。

祖父が死んだ後も「おじいちゃんと結婚できて私は幸せ者ね」という祖母

まずは結婚生活への憧れを砕いた、父方の祖父の話をしたいと思う。
若い頃の祖父は破天荒な性格で、会社を興すのが趣味のような人だった。会社を興して、軌道に乗って儲かるようになると潰し、また会社を興し、を繰り返していたらしい。とにかく飽き性で同じ商売を続けることができなかったのだ。

父が幼い頃には、家にはお手伝いさんがいて、お金も持っていた。 ただ、飽き性の祖父は、最後の最後に親しかった人に騙されて、お金を全部とられて多額の借金を作った。 お金がなくなったあとの祖父はアルコール依存症になり、強迫性障害にもなり、何時間も水道で手を洗っていないとダメになってしまった。DVも酷く、祖母も父も、祖父に何度も殴られた。

祖母はそんな祖父を見捨てずに支えた。無一文の祖父と父を養い、借金を返すため、女手一つでお金を稼ぎ、昼はパート、夜はスナックと働き詰め。 祖母は働きながらも、アルコール依存症の祖父を病院に入院させ、退院後には2人で自助グループに入って、二人三脚でアルコール依存症から回復させた。祖父も壮絶だが、祖母の苦労たるや、当時の話を聴くと思わず涙が出てくる。

私が生まれたのは、アルコール依存も強迫性障害の症状も和らいだ頃だったが、祖父は私が小3のときに死んだ。 祖母は今でも言っている。 「おじいちゃんは本当に良い男だった。あんなにかっこいい人、なかなかいるもんじゃないから、あたしは幸せ者だねぇ」と。

幼い頃は、「おじいちゃんとおばあちゃんはラブラブだったんだな!」と素直に思っていた。実際に、当時では珍しい恋愛結婚だったそうだ。しかし、私が高校生になって、両親が祖父にまつわる話をしてくれるようになると、なぜ祖母はそこまで祖父を好きでいられるのか、ずっと謎に思っていた。

今ならなんとなく分かる気がしている。 話で聞く祖父と祖母の関係は、共依存そのものではないか。 おばあちゃんは、借金を抱え鬱になって、アルコール依存になって強迫性障害になった祖父から、離れられなかったし、離れたくなかったのだ。 そして、孫の私にはあくまでも純粋なラブストーリーとして祖父との関係と思い出を語りたいのだろう。

父もまたアルコール依存症で、私を殴った

私の父もまたアルコール依存症だ。もともとDV気質で、家では不機嫌になると暴れ、夕食が並ぶちゃぶ台をひっくり返し、壁に穴を開け、皿を投げた。 ただ外面だけはよかった。仕事も幹部職で給料も良かった。だからこそ大威張りで家で暴れた。

私が大学受験を控える頃、父が仕事の関係で鬱になり、仕事を長期に休んだ。 もともと酒はやめられなかったけれど、家に何時間もいるのに鬱で何もできない。やれることは酒を飲むことだけ。 依存症に拍車がかかった。暴れることもあった。少し鬱が良くなってきた頃、外に出てキャッシングで勝手に金を下ろしてパチンコをしたこともあった。

母はそんな父に見切りをつけて、自分一人で自助グループに通った。依存症の家族を持つ人のための自助グループ。母は父への対応と、自分の感情のコントロールを学んだ。 母は、今は父の扶養から外れるほど働いて稼いでいる。来年には離婚だと言っている。独立宣言である。

私が大学へ入学し、父親が鬱の診断を受けた頃。私も様子がおかしくなった。1ヶ月の内に定期を3回、携帯を4回失くした。今までも定期や家の鍵を失くすことはあったが、この時ほどひどかったことはない。父親には激しく怒られ、私は何が起こっているのかわからなくなった。

病院へ行くと、発達障害だという診断が下りた。

呂律の回らない舌で土下座して私に謝る父

母の離婚への動きを察知してか、父は私に媚を売り始めた。「はじめての子供だから殴ったり蹴ったりしてしまった、ごめん」。 つい数ヶ月前に、酔いに任せて父が私に発した言葉だ。初めての子どもは私、妹が2番目の子ども。2番目の子どもには一度も手をあげることはなかった。私が幼い頃からできなかったのは片付けや、電気の消し忘れ、そういった日常の些細なことだ。 指摘されてもうまくできないためふてくされていると、その態度を気にくわない父親に殴られたり、蹴られたり、脚を払われて体勢を崩され頭を床に打ち付けられたりしていた。 学校の勉強はできたが、ろくに褒められたことはなかった。

みんな、お父さんに殴られていると思っていたが、高校生になって、ほかの子の家のお父さんは、娘にそんなことはしないと知った。 酒が入っていない時ならまだしも、酔いに任せて謝って許してもらおうとは、我が父ながら愚かだと思った。

父のような間違いを犯さない自信がない

許す気は無いといったところで暴れられても困るから、「わかりました」とだけ言った。 そのあと父は許されたと思ったらしく、馴れ馴れしく色々話しかけてきた。布団で一緒に寝ようとも言い出した。人生で何度目かの、殺してやろうか、という気持ちが起きた。 絶対に許さないと思ったと同時に、実の娘にここまで憎まれる父が哀れに思え、思わず未来の自分と重ねてしまった。

私がいつか家庭を持って子どもを育てるとして、父のような間違いを犯さない自信があるかと言われれば、わたしにそんな自信はないのだ。 父への怒りが湧き上がるたびに、祖父と父が気持ちをコントロールできず周りへ撒き散らしていたような気質を、私も受け継いでしまったのだと感じる。

と、このようなまとまりのないネガティブとコンプレックスを文にしたためたが、今は調子が良いこともあり、前向きに捉えている。

両親の離婚も控えているが、母にとってこの離婚はハッピーエンドを迎えるための一歩なのだと思う。 私にとっては実家がなくなるのですぐにハッピーとは言えないが、両親の離婚という苦い経験を経て、自分がどう変わるのかを楽しみにしたい。

私は幼い頃から悲劇や悲恋、バッドエンディングで終わる物語が苦手で、ハッピーエンドで終わる小説や映画が大好きだった。

もし、自分が主人公の小説があったとして、バッドエンドで終わるなんて許せないと思ったのだ。バッドなエピソードは主人公を成長させて小説を面白くするけれど、バッドエンディングは許せないという気持ちが私にはある。
私という人間が主役の小説は、絶対にハッピーエンドで終わらせたい。

祖父や祖母を見て、父と母を見て、相変わらず結婚や家庭を持つことにポジティブにはなれないけど、それならそれで、結婚しないという選択もありかなとも思える。 家族に振り回されてきた私だが、経験を積み、母が自助グループで学んだように、様々な知識を吸収し、ハッピーエンドへの道を突き進んでいきたい。

私のような、家庭を持つことにネガティブな感情しか持てないコンプレックスを抱えた人を支えられるような文章を書いていきたい。