本を作る仕事をしている。ずっと夢見ていた仕事。まいにち本に囲まれて、紙を触って、日本語と英語を一日中読んで。書店へ行っては、自分の担当した本が平台に置かれているのを見て、静かに喜んでいる。
就職活動でさんざん苦労したこともあって、憧れの職業に内定したときは本当に嬉しかった。職場の雰囲気もよい。みんな本が大好きで、オフィスに文化の風がいつも薫っている。1冊1冊、想いを込めて、誇りを持って仕事をしている。とても恵まれていると思う。
どうしてお給料が低いのか
ひとつだけ問題がある。月収が低いのだ。
家賃と光熱費を支払い、食費と書籍代を確保したら、ほとんど残らないくらい。
友人たちとご飯へ行ったり、後輩にランチをご馳走したりするときのお金は、もちろん惜しまない。そんなところでケチになっては、私のプライドが傷ついてしまう。
ただ、ひとりでいる時にお金を使うことへの罪悪感がひどい。とにかく節約をして貯金をしないと、いつか生活が破綻してしまう。お財布を開くときそんなふうに、いつも心のどこかが焦っている。
だからといって仕事柄(そして私の精神の安定のために)、本を買うことはやめられない。図書館も利用するが、読みたい本に出会ってしまったら買わずにはいられない。
削るのは食費だ。
まいにち白米ともやしとえのきばかり食べているから、栄養失調で手の爪に横線が入りだした。貧血もひどくなってしまった。そんなに頑張って節約しても、月末にお金はほとんど残らない。
さらに、お金がないと、根拠のない劣等感まで生まれる。自分が無能であるなんて死んでも認めたくないけれど、学生時代の友人が学歴どおりの「いいお仕事」をして、休暇で旅行したり素敵なアクセサリーを自分のお金で購入したりしているのをSNSでみるたび、「私は仕事ができないから安月給で、いくら頑張っても安いものしか食べられない、身につけられないんだ」とさえ思えてくる。どんどん卑屈で下品になっていく自分が悲しい。
どうしてお給料が低いのかはわからない。本作り以外の業種に転職はしたくない。お金の心配をせずに好きな仕事をしたい、というのは、わがままなのだろうか。
本は好き、作るのは楽しい。だけど
あるとき、ひとに「本は好きだし、本を作るのは私の喜びだけれど、この仕事を続けていたら、本に人生を食い潰されそうで怖いのです」と、不安をうちあけた。
月収がわたしよりも10万円ほど高いそのひとは、「いいじゃないですか、本に人生捧げるの」と答えた。
ああ、この人はいま、私の切実な不安をロマンティックに矮小化したんだな、と思った。
本を作るのは楽しい。どこか遠い街で、ぜんぜん知らない人が私の作った本を手に取り、レジでお金を払って、大事に抱えて家に帰る。表紙を開け、豊かな物語と紙の手触りにうっとりしながらページをめくる。読み終えると、いつもの自室がなんだかいつもと違って見える。余韻に浸りながら、幸せな気分で眠りにつく。そんな想像をするだけで、本作りは世界一幸福な仕事なのではないか、とすら思えてくる。
夢とお金の折り合いは
いつか本の力で人を救うのが夢だ。編集者として世に送り出した本かもしれないし、翻訳をした本かもしれない。書店のカウンターの奥から誰かに手渡した本や、もしかしたら知り合いに薦めた本かもしれない。その本が、悲しい誰かやどこにも行けない誰かの気持ちを少しでも軽くすることができたなら。
でも、そのためには、私が本に食い潰されてはいけないのだ。本を作るために生きるにしても、前提として私は私の人生を健康で楽しく過ごさなければならない。今の私はまだ、夢とお金の折り合いをつけられていない。できるだけ早く、不安のない気持ちで「自信と誇りをもって、好きな仕事をしています」と心から言えるようになりたい。
ペンネーム:薄荷
北の国と海外文学がすき。
Twitter:@Lolitakillsyou