就活は自分を見つめる良い機会だというのは確かだ。どっぷり考えて自分らしい仕事が見つかって、そこに向かって走れれば最高だ。あるいは、就活なんて枠に捉われず、自分で仕事を作ることも素晴らしいと思う。そんな人たちを否定するつもりは毛頭ない。

でも、みんながみんなそんなに強くないんじゃないのかな。やりたい仕事がわからなかったり、やりたいと思えても実現する道が全く見えなかったり、それを社会や周りの大人のせいにしたい。そんなことだってある。というか、それが普通じゃないか。少なくとも、私はそうだった。社会人8年目の私が過去の就活を振り返って、後輩たちに伝えたいことを記していきたいと思う。

就活に思い切りつまずいてしまった

平成生まれ、ゆとり世代のど真ん中として東京で育った。私には幼い頃から父がいなかったし、母は繰り返し「自分のことは自分で決めなさい」と言っていたので、いわゆる「うるさい大人」は近くにいなかった。人生の大事な場面で身近な大人から古い価値観を押し付けられるという話はよく聞く話だから、その点で恵まれていたと思う。それなのに私は、就活で思い切りつまずいたのだった。

就活で必ずいき当たるのが「何がやりたいか」だ。私も就活に当たり、自分のことを考えた。

私は小さい頃から本屋や雑誌を読むのが好きだった。文章を書くことも好きだったから、出版関係や新聞社に勤められたらいいな、と漠然と思っていた。

一方で、そういった華やかな仕事に就職でき、成功できる人がほんの一握りなことも、もっと学歴が高く、ずっと準備してきて、書くことが得意な才能あふれる人が同年代にたくさんいることもわかっていた。それに、雑誌や本を消費するのは好きだけれど、それを作る仕事は激務そうだし、どうしてもなりたいという熱意が自分にあるのかというと、正直わからなかった。そもそも、新卒一括採用なんていう日本社会の仕組みがおかしいと私は感じているし、就活自体にあまり積極的になれなかった。

……というのは言い訳だ。本当のところは、自分に才能がない、何者にもなれないということを突きつけられるのが怖くて仕方なかった。それなのに、誰かが私の、私も知らない原石のような才能を見つけてくれて、うまいこと採用してくれるかもしれない、という甘すぎる期待もどこかにあった。

「これがやりたい」ことはできなかった

何がなんでも書く仕事がやりたい、と腹を決められていれば何かしらそこにたどり着けたんじゃないかと思う。けれど、やりたいことを突き詰めた結果、就職できなかろうと、ブラック企業で使い潰されようと、何もかも自己責任だ。全ての選択が自由であると同時に、重たい責任が付きまとう。当時の私には、それがあまりに怖かった。そうして私は、本心から「これがやりたい」と言うことなど、遂にできなかった。

私の周辺には、「これがやりたい」と言って真っ直ぐに努力している人がたくさんいたし、結婚して子どもを産むことを重視して、転勤のない仕事を探している人もいた。いずれにせよ、自分の中の何かを信じ、腹を決めて就活をしている人ばかりで溢れていて、私には眩しかった。

そんな周囲と対照的に、どこにも腹を決められない私。それでも来年には働かなくてはならないと、なんとなく恰好がつきそうな会社を選んで選考を受けた。そして、受けては落ちてを繰り返し、リクルートスーツが汗で塩を吹くまで就活した。人当たりが良さそうに見えたのか、面接で先に進むことはできたけれど、最終面接で落とされることも多かった。

成り行きで手にした内定の先には

私の就活は結局、終始顔色の悪かった私のことを心配した大学の講師の先生をきっかけに、縁が縁を呼び、ある中規模の人材系の会社から内定をもらうことができた。特別希望していた業種ではなかったけれど、ちゃんとしていそうな会社に入ることができるならそれでいい、と就活を終えた。あれだけ噛り付いていた就活サイトを通すこともなく、思いがけないルートでたどり着いたのだった。

その後の私の職業人生がどうだったかというと、思ってもみなかった配属や、異動や、転職といった紆余曲折を経ながら、現在社会人8年目を迎えている。一番長くなったキャリアは経営企画、就職活動時には想像もしなかった仕事だ。全て順風満帆とは言えないけれど、途切れることなく働け、色んなことを任されるようになり、充実した仕事ができている。

会社に入ってみれば、就活の時点では知りもしなかった職種や業種やビジネスが溢れていた。周囲では、誰もが羨む大企業に入れたのにその体制の古さや自由度の低さに嫌気がさして飛び出してしまった人もたくさんいる。それに、就活当時憧れだった大企業が、気づけば買収されていたり、リストラがはじまっていたり、当時はまだ生まれてもいなかった会社がものすごく注目されていたり、数年で簡単に状況が変わってしまうのも目の当たりにした。周りを見渡しても、自分を振り返っても、一度会社に入ったらそれで全てが決まるということは、良くも悪くも全く無かった。

選ぶ方だって基準はあいまい

私が就活で一つ反省するとすれば、嘘をつく必要がないということだ。就活では「うちにはTOO MUCH」だとか「魅力的だけど、雰囲気が違う」という理由で落とされることもあると聞く。教えてもらえないけれど、選ぶ方だってそのくらい曖昧なのだ。道を狭めず、辛抱強く探せば、合うところはきっとある。

実際に何らかの仕事をしてみないとわからない自分の向き不向きも、新たな出会いも、自分がコツコツ仕事を積み重ねることで新しい道が開けてくることも、必ずある。

そういう心持ちで、就活というイベントで自分を追い詰めすぎずにいてほしい。

私が就活をしたのは8年も前の話だ。就活市場は冷え込んでいたし、就職活動の方法も今ほど多様でなかった。今とは違う、そしてとても成功とは言えない就活の記録を読んでもらうのもどうかとは思ったけれど、同じような苦しさを抱える人生の後輩がもしいるならば、その人に届けば、とささやかな願いから記している。

ペンネーム:青葉

新橋のアラサー会社員。人生の研究テーマは「ひとの人生を動かすものは何なのか」。クラリネット、短歌、美味しいご飯をこよなく愛しています。Twitter:@greenery_nkmr

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