就職は地元ではなく東京でする

そんなこと、とっくの昔に決めていた。高校生での進路選択、進む学部を選んだ時点でわかっていたことだった。なんなら慕っていた近所のお姉さんやお兄さんが、都会で就職するのを耳にした時点で薄々感づいてはいたんだと思う。

私は千葉県の房総半島にある市の出身だ。人口も少なく、公共の交通網がほとんどないから陸の孤島、なんて呼ばれてしまうような、そんなど田舎。就職先は少なく、安定した給与が保証されているのは公務員、介護・医療関係、観光業の三択。もちろん、それだって立派な職業だ。…私がやりたいと思うものがその中になかっただけで。

地元が嫌いなわけではない。幼稚園から一緒の42人の仲間たちや、いつも声をかけてくれる近所のおばちゃん。昔ながらの駄菓子屋さん。一生懸命練習したお祭りのお囃子。豊かな自然。大好きなものはたくさんある。だけど私は大学を卒業しても、地元には戻らないことを決めた。

出身小学校が閉校…ショック

私の人生のたった20年の間でも、地元を取り巻く状況は変わった。下の学年になればなるほど減っていくクラスの人数。お祭りで太鼓を叩く子ども達が少なく、大人たちが頭を悩ませている。お祭りの規模もどんどん縮小した。もしかしたら大好きなお祭りがなくなってしまうのも時間の問題なのかもしれない。
つい最近、出身小学校が閉校してしまったのも私の中ではとてもショックな出来事だった。6年間歌い続けた校歌を歌いつぐ小学生はもういない、校舎はそのまま引き継がれたけどもなんだか寂しい。

寂しい、寂しいと並べ立てているのに私は地元には残らない決断をした。そのギャップが今、私を苦しめている。

地元を見捨てていることになるのかな

就職活動がうまくいけば、地元に残る決断をした同級生達の大多数よりも多くの給料、水準が高めの生活をきっとおくることができるだろう。私の人生だけを見たらその選択が正解なのかもしれない。それでも、地元に残ることを決断した同級生達の方が正しいことをしているように思える時がある。

私が離れることが、そのまま地元の崩壊につながってしまうのではないか、と思ってしまう。
実際今でさえ綻びは出ているんだ。小さい頃からあったお店が潰れてしまっていたり、素敵な老夫婦が住んでいたはずの家が跡形もなく消えていたり…(老夫婦も亡くなっていた)長期休暇で帰る度にそんな小さな変化が目につき、その度に落ち込んでしまう。この街で育ったのに、私は部外者になってしまったのか、なんて考えてしまうから。

先日の台風の被害のショックも大きかった。翌日は全くと言っていいほど報道されなかった被害状況。もちろん地元の状況なんて知るよしもない私は、大学が休講になったことを喜んでいた。ベットでゴロゴロしながら何気なくTwitterを開き、TLをなぞる。拡散されてきた画像を見て血の気が引いた。親しみのある場所の、目を疑うような被害状況。今すぐ手伝いに行きたくても交通機関がストップしている。幸い家族や実家には被害はなかったもののその場にいないことがこんなにもどかしくて、辛いなんて。お前はもう部外者なんだよと突きつけられているようで絶望した。

近所の人にかわいがってもらったり、豊かな自然の中で友達と一緒に遊んだり…不便なこともたくさんあったけれど私が私という人間になれたのは家族や出会ってきた人達、そして人の繋がりが強くてあったかい地元があったからこそだ。恩返しをしたいと思う。たくさん感謝をしているから。

恩返しをするどころか、何もできていないどころか、私は地元を出て行こうとしている。何かがもしあったとしても、私にはきっと別の生活があるからすぐに駆けつけることはできないだろう。台風の時みたいに。罰当たりなことをしてるようなそんな後ろめたさはどんなに東京で就職する決意が固まったところで消えることはない。

次の代にさらに重くなったバトンを渡す

自分の人生、やりたいことを考えると絶対に今は東京で就職したいのに、地元が壊れてしまうのは嫌なんだ。自分がその場にいても何かできるわけではないのに少しは変わるのではないかと思ってしまう。この状況を打破できる可能性を秘めているかもしれないのに、恩返しができるかもしれないのに私は地元を離れる、自分のために。なんて私は自分勝手で無責任なんだろうか。私の選択が大好きな地元の過疎化を進めることは間違いないこと。かつて選択を迫られた人達から受け継いだバトンは確実に重くなっている。

地元のためには良くないことだけど、やっぱり自分のやりたいこと、自分の人生を大切にしたい自分勝手で無責任な私は、次の代にさらに重くなったバトンを渡す。地元にトドメを刺してしまうのではないかという恐怖に震えながら、後ろめたさを感じながら。