わたしは、下の名前で呼ばれることがない。
わたしはあくまで苗字の呼び捨て
わたしの苗字は、割と変わっている。鹿児島に多い、漢字3文字のすごくいかつい印象を受ける苗字。そんな苗字を受けて、両親はせめて少しでも柔らかい印象を受ける名前をと、下の名前を選んだと聞く。
けれど、その名前はコミュニティで使われることはほとんどない。大学のサークルなどでは、親しみを表すために、苗字ではなく女の子のことを下の名前で呼ぶ人が多くなる。かわいらしい先輩や同期たちが下の名前を呼び名として採用される中、わたしはあくまで苗字の呼び捨て。
理由はわかっている。わたしが、下の名前が似合うような「かわいらしい」人間じゃないからだ。負けず嫌いで強がりで、男性にも張り合ってしまう。妥協ができない、容姿もかわいくない、ないことずくめなのにプライドだけが高い女。かわいげがない、と言われても仕方がない、と自分を納得させて、暗黙の了解となっていたルールに従っていた。
「女の子らしくない」と言語化され突きつけられると、心にこたえた
「○○さんって、強い女って感じ。女の子らしくないよね」
ある日、サークルの関係者のおじさんに、にやにやしながら言われた。とあるメディアで結構な要職についているその人は女の子の好き好みが激しくて、ワンピースが似合うような楚々とした女の子は下の名前に「ちゃん」付け、「お眼鏡にかなわない」人には苗字呼び、とわかりやすく差をつけていた。わたしはもちろん、苗字呼びの人間。
自分の中でそうだろうとうすうす分かっていることでも、いざ「女の子らしくない」と言語化され突きつけられると、心にこたえた。「ごめんなさい、強い女で」と笑いながらごまかしたその日、家に帰ってわたしは泣いた。
わたしは、やっぱりかわいくない。だから、女として、価値がない。その日以来、わたしは心の鎧をますます強固にした。それまでだって十分、わたしは強かったから強化すればいいだけ。簡単な話だった。無言の品定めの目と、そして気にくわない女だという嘲笑とを、「それすら気にしない強い女」という仮面で覆い隠した。
いつか、当たり前のように、下の名前で呼ばれてみたい
この春、社会人になった。顔採用はない会社だし、部署に同期はいないから、かわいい、かわいくないで判断はされない。しかも、職場では全員が平等に苗字に呼ばれる。それは、差をつけられることで「女の子らしくない」というレッテルを貼られるという現実から、目を背けることができるということでもある。
でも、会社の外に出たら、下手したら会社の中でも、戦いは終わるわけではない。一生、「かわいくない」という記号と、それに付きまとういかつい苗字と、そして超えられない自分自身の感情と。わたしは、ずっと向き合いつづけなくちゃいけない。
そうだと分かっていても、わたしは願ってしまう。いつか、当たり前のように、下の名前で呼ばれてみたい、と。