私が小学生の頃は、パソコンの授業をするのが当たり前になりYouTubeやニコニコ動画の全盛期だった。

中学生になると今はなきガラケー文化が流行った。モバゲー、mixi、前略プロフィール、GREEなど不特定多数と繋がれるオシャレな掲示板SNSが大流行した。
その頃からネットという海に個人情報をばらまくな!と大人から口酸っぱく言われていた。

中学生から最近に至るまで、自分が嫌いなわたしにとって、SNSはもう1人の理想の自分が詰まった場所だった。アイコンはフリーイラストの日本人離れしたそれは綺麗なアニメのイラストだったし、なぜか凪という漢字を気に入ってしまい、メルアドまでnagiの文字を使っていた。

SNSがきっかけや原因とされる事件や事故に関する報道が増えると、当時ヘビーユーザーだった私は、親からすごく心配された。幸いなことに、SNSを使う理由は「誰かに出会いたい」「家出をしたから匿って欲しい」などの対面を要するものではなく「話を聞いて欲しい」だったので、1度も危険な目には遭わなかった。

部活の規定によって全SNSを禁止されていた高校時代

高校生に入りガラケーが減って、今のスマートフォンが普及しさらにLINEやTwitter、Instagramで、みんなが匿名性を減らしつつ、あけすけではないSNSで繋がれるようになった頃、私は部活の規定によって全SNSを禁止されていた。
連絡手段はメールと電話のみ。スカイプですら禁止。だからクラスメイトがグループラインで文化祭だとか行事に関することを話し合う中、私だけが参加できなかった。

寂しさを抱えていたが、部活を引退してすぐ、LINE、Twitter、Instagramをダウンロードした時の世界の広がりが目に見えるような経験は忘れられない。(ちなみに私が所属していた部活では今は全てのSNSの使用がOKになっているらしい。私のあの仲間外れの寂しい気持ち、我慢した気持ちは一体なんだったのか…?)

大学時代、SNSで繋がったかけがえのない友人

大学生になり、なんとなくSNSでの過ごし方を理解した私は、ほぼ本名を晒し、知り合いしかフォローし合わないメインアカウントで、自分の大好きな海外ドラマが好きな人と繋がった。

大学生生活では環境が大きく変わったこともあり、精神的にも不安定だった。
そんな中で、同じ「ドラマが好き」という1つの共通点で繋がった友人たちが、実は、同じ「フェミニズム」の考えをもち、同じ「性自認や性的指向が定まらない、又は周りから白い目で見られる属性」と知り、共通点がどんどん増えていった。好きなアニメの話、ドラマの話、時には現実で起きた事件の話、学校生活で辛かった話をたくさん話した。

顔写真をあげたりして顔はある程度知っているし、なんならわたしは本名も晒している。
全く顔も知らない同士ではないからこそ、肩を組んで手を取り合って歩く同志のような存在になっていった。

私にとっては本当に失いたくない大切な友達ができるきっかけになった場所

もちろん、顔を合わせて毎日同じクラスで授業を受けて仲が深まった大事な友達もいるが、私にとって同じくらい絆が深まった友達はSNSにもいる。

最近は、SNSのマイナス面ばかりが取り上げられているように思うが、私にとっては本当に失いたくない大切な友達ができるきっかけになった場所だ。

対面上でも、画面越しでも、場を荒らすのは自己中心的で相手を思いやらず、自分の欲望を満たすために動く人間なのではないだろうか。学校や職場が最悪なわけでも、SNSが害悪なわけでも、ゲーム・アニメが悪影響なわけでもないと思う。

SNSに助けられている人がどれほどいるだろう。
私は、大切な友人に繋げてくれたドラマにも、SNSにも、繋がってくれた友人たちにも感謝していきたい。ずっとありがとう。