中学3年生の時だった。夏休みのある日、同じクラスの友達と遊びの待ち合わせに向かうために、1人で駅のホームを歩いていた。

後方から複数人の男性が大声ではしゃいでいる声が聞こえてきた。「前歩いてる子、スタイル良くね?絶対可愛いよな!」「顔見てみよう」この会話が聞こえてきた時点で嫌な予感がした。他人の話であってくれと思う。しかし嫌な予感は見事に的中。20代前半と見られる複数人の男性たちは私の顔を覗きこむようにして先回りしてきた。男性たちは「なんだブスじゃん」「後ろ姿に騙されたわ、ブス」などと大声で言い放ち、私を見て爆笑しながら電車に乗っていった。

ただ歩いてただけなのに、突然容姿をジャッジされた挙句、当時中学生の自分よりも遥か年上の成人男性たちに集団で罵倒された恐怖はあれから8年経過した現在でも心に焼き付いている。

学校の一部の男子は、容姿ジャッジの会話を大声でしていた

高校生になった私は、アイプチで二重を作るようになった。二重にするだけで随分と人相が変わるもので、やや腫れぼったい印象から、優しげな目元になった。髪型やメイクを研究し、ブスと言われることはなくなった。
だが、可愛いというわけでもなく、至って平凡な容姿である。

学校の一部の男子は、クラスの女子の誰が可愛いか、誰がブスかなど、容姿ジャッジの会話を大声でしていた。彼らの会話は、私が中学生の時に駅で遭遇した出来事を連想させ、その度に心臓がキュッとなった。またブスと罵倒されたりしないか、毎回不安だった。

自分の心を守るために毎日化粧をしていた

その後も、何度か街中でも通りすがりに女性の容姿をジャッジしている男性に遭遇することがあった。大抵このような場合、10代後半から20代前半の若い男性で複数人のグループだった。わざとなのかは知らないが、彼らは容姿ジャッジの対象の人物に聞こえるレベルのボリュームで話している。

中学生の時の出来事は私にとって完全にトラウマになっており、例えまぶたの皮膚がただれてもアイプチをし、入念に前髪をセットしないと外に出れなくなってしまった。もしアイプチや化粧を落としたら、また通りすがりにブスと言われるかもしれないといった恐怖が私を支配した。心ない言葉を投げかけられないように、私はもはや自分の心を守るために毎日化粧をしていた。

通りすがりの人間の容姿の品定めしていること自体が恐怖でしかない

通りすがりなんかの言葉を気にするほうが悪いと言う人もいるかもしれない。しかし、むしろ通りすがりだからこそ突然の容姿ジャッジに心に刺さってしまう。ただ道を歩いてるだけなのに、突然知らない人が、自分の容姿に対して「可愛いかブスか」といったジャッジを始める。可愛いと言われても、通りすがりの人間の容姿の品定めしていること自体が恐怖でしかない。

私は棚に並べられた商品でもなく、自分を誰かに見せびらかすために街を歩いているわけではないのだ。