「日本は恵まれた国だから幸せ」

16歳の頃、私は周囲にSOSを出せなかった。だれにも「助けてほしい」と言えず、日々こころが蝕まれていった。

モラハラ彼氏、友人関係の悪化、頼ることができない大人たち。本当は、彼とうまくいってないこと、だれにも言えなかった。

「彼氏がいるだけで、幸せだよね」って、なんで皆言うのだろう。なぜだろう、こんなにも生きづらいのは。

私は、本当は幸せだと思えないのに「幸せだ」と何度もウソをついた。だれにも聞こえない、こころの中で小さなウソを。

学校や家庭で、日本は恵まれた国だと教えられる。そして、社会の風潮「彼氏がいる人=幸せ」「結婚してる人=幸せ」を自然に脳内にインストールする。

つらいことも、悲しいことも、怒りも。だれにもぶつけることなく、自分の中で消化するために「幸せだから」と、間違ったウソをつき続ける女の子たちへこのエッセイを届けたい。

「今すぐ、その小さなウソをやめよう」

自分の中で消化するためにつきはじめたウソ

あの頃、自分の中で消化するためにつきはじめた小さなウソは、いつの間にかSOSの出し方がわからない自分を肯定するためのウソになった。

ご飯があるだけ、幸せ。
住むところがあるだけ、幸せ。
スポーツできるから、幸せ。
勉強ができるから、幸せ。
友達がたくさんいるから、幸せ。
彼氏がいるから、幸せ。

だから、我慢しよう。頑張ろう。

幸せだと思って、ポジティブにしていれば、きっと救われる。いい子にしてれば、救われる。努力は報われる。まるで「ピアスを開ければ、運命変わる」「髪色変えれば、人生変わる」のような奇跡は起きなかった。

だれかと比べても、幸せにはなれない。いい子にしていも、救われない。

ほどなくして、私は完全に壊れる。

ある日、ご飯を食べれなくなった。
その次は過食が続いてトータル40kg太った。
壊れた私をみて友達は、少しずつ離れていった。
ある頃、文章が書けなくなった、物事を覚えることができなくなった。
それから、しばらくして、寝たきりが続いた。運動することも、外にでることもできなくなった。
それからも、住むところはあるけれど「貧しい国の子どもたちをみなさいよ」と言われ続ける。

そして、私はなにも感じなくなった。

「私は幸せだ」と、小さなウソをついても状況は何も変わらないことに気づくのが遅すぎた。だれかと比べても、幸せにはなれない。いい子にしていも、救われない。努力をしても、報われないことをまだ知らなかった。

体調を崩し続けた私が、外へ出れなくなってしまう前。きっと、この時、SOSを出せていたら、違っていたのかもしれない。

一度や二度、真面目に取り入ってもらえなかったから、見損なったと決めつけた私も問題はある。SOSを出したところで、傷つくのならば、もう1人で抱えておこう。SOS抱えているけど打ち明けられない私ではなく、SOSなんて抱えてない日々充実した私になろうとする。恵まれてるから幸せと言い聞かせて、自己肯定を履き違えた感情の押し殺し、歪んだ思い込みをし始める。

そんなことをすれば、ますます周囲は気づかないし、現在と内面の間で乖離が生じて心身に悪影響が出るなんてこと、この時は思いもしなかった。

1人で抱えないでほしい。待っていても助けてくれない。

たしかに日本で生まれたことだけで恵まれているかもしれないけれど、人と人の繋がり、支え合い、優しさ、共感力という面では本当に恵まれた社会なのだろうか。

幸せだと感じることができて、結果、恵まれていることに気づくのであれば良いのかもしれない。恵まれているから幸せだと思い込むと、いつか無理が生じるだろう。

誰もがこころに余裕のない社会の中で、だれかが見かねて一方的に「どうしたの?」と救ってくれることは宝くじで3億当てるようなもの。

1人で抱えないでほしい。待っていても助けてくれない。

だれかに相談する、どこかで相談をするって面倒くさくて、億劫だけど、それでも諦めないで。そして、自分にウソをつかないで生きてほしい。

私は10年という歳月を棒に振ったれど、今こうして前向きに生きることができるようになった。もし、何年も自分にウソをついて、1人で抱え込んでいる人がいるなら、今からでも遅くないことも伝えたい。