大学に入ってから、周りにつき続けているウソがある。それは「彼氏がいたことがある」ということ。
実際は身体の関係があった人がいただけ。思いは一方通行で交わることなく、彼がわたしを「彼女」にしてくれることはなかった。しかし今、わたしが語り出すとその人は「元彼」へと化す。
つき続けているウソ。「汚れた女だ」と思われるのが、何よりも怖い
友人との会話で、過去の恋愛話に花が咲くことは多い。期待を含むまなざしがこちらに向いても、「付き合ったことないの」とだけ言えば無難にやり過ごせるだろう。しかし、わたしのちっぽけなプライドがそれを許さない。勉強ばかりしてきたから恋愛を知らないんだろう、モテないんだろう、そんなふうに見下されるのはまっぴらごめんだからだ。
一方、わたしの周りでは、経験がない子や性の知識が少ない子が純粋でかわいらしい、という認識がされている気がしてならない。
こう感じるのは、わたしがそのような考えを持っているからなのか。それとも、世間一般の考えがわたしに住み着いたからなのか。どちらにせよ、誰が生み出したかもわからない偏見がわたしにウソをつかせる。
こんな偏見が蔓延る小さな世界で、彼氏はいたことないけど経験はある、なんて言ったら「ビッチな女」確定だろう。付き合ってない人と行為をするなんて「汚れた女だ」、そう思われてしまう。それが何よりも怖い。
「今度、元カレの話聞かせてよ」そう笑顔で言われることがある。その笑顔がまるでわたしのことを試しているかのような、真っ黒なものに見えたりする。わたしの事情なんて相手は知るわけない、とわかっていたとしても。それに、真っ黒に染まったのはウソに対する罪悪感のせいだ、ということもわかっている。
しかしこのウソはもうやめられない。一度ウソをつくと、後戻りできなくなるのだ。ウソによって話の歯車が狂ってしまう気がして、自分の話に矛盾が生じてしまう気がして、ウソにウソを重ねてしまう。彼と付き合っていた期間、別れたきっかけ、自分でも驚くほどスムーズにウソが口から滑り出てくる。そして、そんな自分に後になって呆れる。よくもそんなに語れるものだ、と。
こうして自分の中にあるネガティブな感情に向き合わざるを得ないから、過去の恋愛を話すことはきらいだ。
わたしの中では、きれいな思い出。ウソも間違った選択ではない
過去の恋愛を話すことはきらいだが、過去の恋愛をきらっているわけではない。彼との間にあったことに、後悔はないから。わたしは彼のことが大好きだったし、彼も彼なりに向き合ってくれた。そのことを無かったことになんて、したくない。彼のことが大好きだった自分を、自ら否定するなんて絶対にしてはいけないと思うから。誰がなんと言おうと、わたしの中ではずっと、きれいなきれいな思い出なのだ。たくさん考えた結果、今ではこんなふうに整理がついている。
わたしが正当化してるのは、過去の恋愛だけではない。ウソをついていることも間違った選択ではないと思っている。臆病な自分を守るために欠かせないものだから。この武器を手放すつもりはない。それでも、ウソに対する罪悪感に悩まされる。どうしてなのだろう。モヤモヤした思いは募るばかりだ。
いつかこのウソに罪悪感を抱かなくなる日が来れば、なんとも思わずにウソをつくことができるのに。そんなことを願いながらも、わたしが語る物語の中で彼はずっと「元彼」でいつづけることに変わりはない。罪悪感が消えようと、残ろうと。