私にはNOと言えなかった経験がたくさんある。NOと言っているつもりでも、相手に伝わらなかった経験もたくさんある。それはもう日常的に、数え切れないほど。そしてそれによって嫌な思いを何度もしてきた。

その中でも最も嫌だったのは、親しい友達にレイプをされた時のことだ。その人とは1年以上の知り合いで、信頼をしていた人でもあった。フェミニズムにも理解があって、性的同意を大事にしていると思っていた。セックスは絶対しない相手だと思っていたし、「私たちがやることはないよね」とよく確認しあっていた。

その日は混乱していて、何があったのかよくわからなかった。

その日は台風で、東京全体に大雨特別警報が出ていた。レトルトの食べ物や乾電池はコンビニから消え去っていて、大規模な停電になる可能性もあると言われていた。その時精神的な状態がよくなかった私は、その友達と連絡をし、一緒に私の家で台風が過ぎるのを待つことにしていた。停電の中1人で少ない食料で生き延びるのを想像したら怖かったし、1人よりは2人の方が心強いだろう。

2日目の夜、それは起きた。床のカーペットでダラダラしていると、いきなりキスをされた。びっくりしていても止まらない。なんなら、私はそのキスにちゃんと応えていたと思う。ハッと我にかえり、「もうここまでにしよう」と言った。セックスをしないからこそ築けていた関係があったと思ったし、なにせ混乱していた。それでも彼は止めず、私は混乱しながらフリーズしたり、たまに応えたりしていた。

「挿れてもいい?」「挿れるのは嫌だ」というやりとりを何回か繰り返し、最後に私は折れた。その日は混乱していて、何があったのかよくわからなかった。

結局私のNOは相手に伝わっていなかった

強いパニックが襲ってきたのは、それから数日後のことだ。特にキスされた瞬間のことが何回も何回も頭に浮かんで、吐き気がした。涙が止まらなくなって、大量の酒を飲んだ。そんなことが数日間続いて、はっきりと自覚した。あれはレイプだったんだ。

後日その人に、あの時私は合意をしていなかったと伝えた。その時に言われたのは、「性的同意の概念は理解していたはずなのに、あなたのNOのサインが見つけられなかった」だ。私のNOは全く伝わっていなかったことに気がついた。

自分のことをいっぱい責めた。本当に嫌だったらもっと蹴ったり叫んだりできたじゃないか。結局私のNOは相手に伝わっていなかったし、伝える気もなかったんじゃないか。ってことは、本当はそんなに嫌がっていなかったんじゃないか。「レイプされた側は悪くない」というフェミニストの私と、「本当にあれはレイプだったの?」という嫌な私がどっちもいて、眩暈がした。

自分が今まで言えなかったNOがゆっくりと消化されていく気がする

そんな私を救ってくれたのは、まさに大きな声でNOを言うことだった。
私の大学では毎年学祭でミスコンが行われている。ミスコンとはつまり、みんなの投票で「どのような女性が望ましいか」を決め、すでにうんざりするほどある「女性はこうあるべき」を強化する企画だ。私は大学で何度も「こうあるべき」に苦しめられてきたし、こんなコンテストはさっさと無くなって欲しい。だからこれにNOを言うために、学内でビラを配ったりイベントを企画したりしている。

ミスコン反対をはっきりと口にし始めてから、私の精神状態は相当良くなった。「なぜ嫌か」を言語化したり、それに人が共感してくれるのが楽しい。ミスコンにNOと言うことで、自分が今まで言えなかったNOがゆっくりと消化されていく気がする。NOと言うことの大切さを実感している。

力を持たないものだけが、NOと言わなくてはいけないのはおかしい

同時に、「私はNOと言う」というテーマは完全に好きになれないのも事実だ。NOと言った時にそれが尊重されるのはもちろん大切なことだが、本来はNOと言わなくても嫌な思いをしなくて良いはずだから。力を持たないマイノリティだけが、NOと言わなくてはいけないのはおかしい。

私はこの文章の冒頭で、「NOと言えなかったことによって嫌な思いをしてきた」と書いたが、これは本当は嘘。私が嫌な思いをしたのは、相手が私にレイプをしてきたからだ。決して私がNOと言えなかったからではない。 本来ならば、嫌なことにNOと言わなくてはいけないのではなくて、やりたいことにYESと言いたい。

だから私はこの文テーマを、「私はYESと言う」に変えたいと思う。あの日私がNOと言えなかったから今でも残る、自分を責める気持ちが少しでも軽くなるように。