さて、ここで問題。
「SNSは何のために存在するのでしょうか」。

ごめんなさい。答えはない。
というか、全員正解。全員はなまる100点満点。
だって、SNSは人それぞれ使い方も違うし目的も違うし、その人の心を占める割合だって1㎜たりとも一緒にはならないから。
とにかく自由。匿名にしたって良いし、特定の人や存在を傷つけなければ基本的に何を発信したって良い。それがSNSの良いところであって、私はそんな自由さに惹かれて今まで数多くのSNSで自分という存在を発信してきた。

夢を追って大阪から単身上京。写真嫌いだった女優志望の私。

22歳、女優志望(ただしコネなし経験なし人脈なし)。
夢を追って大阪から単身で上京した1匹の小鹿は、あまりにも丸腰だった。
当時の自分は才能があるかどうか自信もなく、それを確かめる術もなかった。顔だって美形ではないし、身長も日本人の平均以下。人に良く見られたいという気持ちも大きかった。
そんな私にとって素顔や心の内を写真や文章でSNSで露呈することは、どうしてもコンプレックスだらけの嫌いな自分と対峙してしまう行為でもあった。

挙句の果てに、写真嫌い。

いやいや、女優志望なのに撮られるの嫌いって。写る人なのに、これは痛すぎる矛盾だった。

オーディション写真では顔が引きつり、3枚に1枚は半目。ポージング?とりあえず眩しそうに太陽を見上げればいい?やけくそになってそれっぽい服でそれっぽい顔をした写真を貼り付けて送った履歴書は、きっと今頃リサイクルトイレットペーパーになって水に流れていることでしょう。流れていないと恥ずかしい。頼む流れていてくれ。

SNSでの出会い。顔も見ないでナンパしたカメラマン。

そんな私の強い味方になり、私自身を武器へと変身させてくれたのが、苦手分野だったはずのSNSだった。
もっと詳しく言うと、SNSでの出会い。私は男性カメラマンを逆ナンした。

これには私が一番驚き。19の頃に自称芸能関係の怖い大人の男性と色々あって男性不信になっていたのに、顔も見ないで速攻ナンパした。この時の自分の放胆な行動は孫の代まで語り継ぎたいと思う。

逆ナンした決め手はただ一つ。そのカメラマンさんの写真に一目惚れして、この人に撮ってもらいたい。心からそう思ったからだ。

惚れた作品の中に自分がいる高揚感。自分をあっという間に好きになれた。

SNSには自分のプロフィールの他に、過去の写真や文章も残っているからわざわざ自己紹介しなくても感性がまるごと見る側に伝わるのが便利なところ。
私はそのSNSのおいしいところを存分に頂いて、面識のないカメラマンにいきなりアタックしたのだ。最低限の挨拶は交わしたものの、「あなたの写真に一目惚れしたから、撮ってもらえないだろうか」とストレートすぎる愛を認めたDMした結果、快く撮影をしてくださることになった。

そこから私の人生が丸っと変わったのだ。

惚れた作品の中に自分が入れた高揚感は格別だった。しかも幸運なことにカメラマンとの相性は抜群だったのだ。パッと見た作品の印象は自然体かつエモーショナル。それに加えて日常の生っぽさもある中で、どこか映画のワンシーンを思わせるフレーミング。
全てが完璧で、私が私を好きになるのはあっという間のスピードだった。

演技の経験もそこまでなく、自己表現欲だけを持て余していた小鹿が、写真に写ることでようやく自己表現の方法を手に入れたきっかけになったのがSNSだった。
コンプレックスにまみれていた表情にはいつしか自信が滲むようになり、荒くれた社会に立ち向かう私の勇者の剣になったのが、SNSだった。

いいねのハートの数とか、フォロワー数に振り回されて心が疲れることもあるSNSだが、人それぞれに救われる瞬間も多いのではないだろうか。
少なくとも私はその一人だし、SNSをやらずに今の自分があるとも思えない。

あの時、勇気を出してよかった。
SNSがあって本当に良かった。
心からそう思う。

ちなみに、そのカメラマンとは付き合った。