私は28歳、主婦。仕事は小さな病院での受付嬢。受付嬢というとなんだか美人なイメージだが、そのイメージを一蹴りする自信がある。昔から映えない顔面のせいで自撮りはしなかった。学生時代は写真を撮られるのを過剰に嫌がり友達が私にカメラを向ければ怒っていた。友達は人並みには居たし、学校自体大好きだったけれど常に自分が可愛くない事に劣等感を抱き、悲観的な捻くれ者だった。
他のものでもアピールできる事を知った私にとって、SNSは一筋の光
社会人になっても、自撮りは勿論集合写真に進んで入って行く事はまずなかった。ある程度の自由なお金を手にしてからは、顔面でなくて他のものでもアピールできる事を知った。私自身が映えなくても食べ物が映えていればSNSも楽しめるという発見は自分にとって一筋の光だった。
レストランのご飯、撮影の為に手作りしたようなご飯、友達から貰ったプレゼントのお菓子…。SNSにあげる写真が鮮やかになっていく。お店で座る位置や撮影するアングル、美味しく見せるアプリ、写真はどんどん垢抜けていった。
少し前に流行った○○○○映えと言われるほど過剰なものであるかは分からない。女子高生がたかるような最先端と言われるお店には行かない。着色料まみれのお菓子の為に行列に並ぶほど若くはない。
美味しそう!に繋がりたい。羨ましい!おしゃれ!と言われたいのかも
ただ、家族や友人と食事に行く予定がたてば、好きな食べ物以上に見た目がどんなものなのかも下調べをして、華やかに見えるものを選ぶ。高級なものじゃなくてもいい。美味しそう!に繋がりたい。欲を出せば羨ましい!おしゃれ!なんて言われたいのかもしれない。
自身が作る料理はというと、大半は和食。健康的だけれど載せがいは無い。仕方がないので週に数回は健康を犠牲にして、和食以外の鮮やかな料理を作る。わざわざ買うような葉っぱを散らしたり添えたりするだけでオシャレごはんになる。自分なりに何気なさを装って、充実したオシャレご飯をSNSに載せる。私がUPする食べ物なんてさすがにもう誰も興味ないだろう。分かっている。芸能人でもないのに!と三十路手前の冷静な頭が叫んでいる。
特定の誰かの反応を求めているわけでは決してない。多かれ少なかれ幸せなのだからそれで良い。誰かと比べる必要が無い事くらい小学生の頃から知っていた。
お互いが写真で優越感を得る時代。自己満足の塊だと知っているけれど
皆はどうか。本当に何も考えずあっけらかんとSNSを楽しんでいるのだろうか。きっとそんな人ばかりじゃない。
SNSが自己満足の塊でしかない事を皆が知っていて、その事実に触れてしまうと成り立たないことも知っていて、核心には触れない事が暗黙のルールなんだと思う。
お互いがそれぞれの強みを写真にして優越感を得る時代。羨ましすぎて妬ましくて空しくなる日もある。いいなあという想いがまたSNSに執着させる。隣の芝生は青い、本当に青い。
はぐらかしながらも傲慢に、写真のその先にある反応を想像しながら今日も“投稿“ボタンを押す。