仕事、仕事、仕事、それ以外は家。
そういう生活を、かれこれ1ヶ月ほど。
職場の同僚とお客さん、それから同居する家族以外、ほとんど人に会っていない。
だいすきな恋人にも、全然会っていない。
これまでなら、普段通りなら、家には寝るために帰るような生活をしてきたのに。
苦しくて。
さみしくて。
つまんなくて。
終わりがみえない。
そんな毎日を、わたし達は今、生きている。
自粛生活は、自分史上最強に、不便で窮屈な日常。
わたしは今年26になるけれど、未だに実家に居座り続けてる。
理由は、あげればきりがない。
強いて言うなら、お金を貯めている。
恋人と一緒に暮らすための、資金集め。
そういうことにしとく。
とにかくわたしは、父と母と弟と一緒に、極小アパートの一室で生活している。
自分の部屋は、昔からない。
生まれてこのかた、自分の部屋を持ったことがない。
それどころか、小さなアパートの中、扉で仕切られているのは、トイレとお風呂くらいだ。
わたしはこれまで、そんな家で育ってきた。
わたしは今、そんな家で自粛生活を送っている。
自分史上最強に、不便で窮屈な日常だ。
ひとり引きこもれる場所は、用意されていない。
プライベートは、ない。
そう言い切っても、いいとおもう。
それくらい物理的に、わたしの実家は“密”すぎる空間だ。
ひとり引きこもれる場所は、用意されていない。
だれかとビデオ電話なんかしようものなら、内容は筒抜け。
友達とも仲間とも、恋人との会話も、丸聞こえだ。
「zoom飲み会しました」なんてSNSに投稿できるのが、羨ましくて仕方がない。
わたしの家には、背景にできるようなおしゃれな家具は言うまでもなく、無難な白い壁すら存在しない。
恥ずかしい。
そう思わずには、いられない。
たとえ、だれもそんなこと、気にしていないとしても。
家族と一緒にいすぎて、これまでなかったトラブルが発生する。
わたしを縛るのは、家という物質的なものだけではない。
母だ。
別に、仲が悪いわけではない。
むしろ、仲良くやってきた方だとおもう。
ただ、この非常事態。
親子関係も、いつも通りとはいかないようだ。
わたしの母は、実に完璧な母親で、家事育児その他諸々の家のことは全てひとりでこなしている。
心の底から、感謝している。
尊敬でしかない。
ただ、ちょっぴりやっかいなのは、その繊細さ故の”きりきり感”。
だいぶ、きている。
と、わたしはおもう。
けんかなんて、ほんとはしたくないのに。
共に過ごす時間が長いとは、なんともやっかいだ。
片や恋人に会えず、焦がれているというのに。
片や家族と一緒にいすぎて、これまでなかったトラブルが発生する。
なんとも、やりきれない自粛生活だ。
人間関係にも、適度なソーシャルディスタンスが必要。
この環境を、今のわたしはどうすることもできない。
ある日突然、ウイルスが消滅するわけではないし。
鶴の一声が発せられて、解放されるわけでもないだろう。
この先、どんな未来が訪れるのか、わたしも、だれも、わからない。
終わりのみえない暗い道を、それでも前に進み続けるために。
人間関係にも、適度なソーシャルディスタンスが必要なようだ。
アフターコロナも平和に過ごせるように、今この時を、なんとか乗り越えなければと、おもう。