この春から,2年間の地方勤務を経て,念願だった東京に転勤することになった。

2年間住んだ地方都市は,わたしにとって最初の勤務地だった。そこは,わたしの地元からおおよそ1000kmも離れていて,着任するまでは一度も訪れたことがなく,もちろん友達なんて全くいない,まさしく縁もゆかりもない土地だった。

最初の勤務地の地方都市に違和感。「一刻も早く出よう」と心に誓った

今までほとんど乗ったことがなかったのぞみ号を下車し,初めて足を踏み入れたときには,言いようのない違和感を覚えた。聞いたことのない訛り,個性的な食文化,そしてとにかく暑いところだった。新社会人の言葉でよく聞く「不安と期待が入り混じったような気持ち」なんてものはなく,「一刻も早くこの場所を出よう」と心に誓った。

わたしの場合は少し特殊な区分での採用だったため,初任地が地方となったわけだが,その他同期の大半は東京勤務を言い渡されていた。聞くと,皆東京で華やかな生活をし,1年目から大きな仕事に携わっているようだった。わたしは一人,この土地に取り残されてしまったような気持ちになった。

羨ましい。わたしだって,地方勤務でなければもっと大きな仕事ができるはずのに。そんな風に思って,この場所がますます嫌いになった。

わたしは生意気な新人だったので,「この場所が嫌い」「早く転勤したい」と口癖のように言っていた。職場の人は「確かに,実家が遠いもんね」なんて優しい返しをしてくれていたが,きっと嫌われていたと思う。

お気に入りの店や散歩コースが出来た。地方嫌いは“ネタ”と化した

仕事で評価されれば,異動が叶うかもしれないと思い,ここを離れたい一心でがむしゃらに仕事をした。おかげで,2年目には何となく周囲から認められるようになり,社内に居場所ができた。仕事を任されることも増え,東京にいる同期たちのように大きな仕事ではないかもしれないけれど,自分の裁量で仕事ができることにやりがいを感じ始めていた。

また,その土地での生活にも慣れ,お気に入りの店や定番の散歩コースが出来たりした。職場で年の近い女の子たちと,日本酒を飲んで語り合ったりもした。わたしの地方嫌いもある種“ネタ”のようになり,「そんなこと言って,どうせずっと居るんでしょ!」なんて笑われていた。

もしかしたら本当に,ずっとここにいるという選択肢もあるのかもしれない。そんなふうに思って,以前ほど嫌悪していない自分に気が付いた。あれ?わたし,そんなに嫌じゃない。こんな風に思うようになるなんて,自分でも意外だった。

それからしばらく経って,人事異動の時期がきた。わたしは上司から呼び出され,ついに異動の打診をもらった。希望し続けていた東京。当然,二つ返事で了承した。

その日は,仕事中もずっと胸が高鳴っていた。あこがれていた東京。来年度からは,今よりも大きい仕事ができるんだ。仲の良い友人たちとも,気軽に会える距離になる。嬉しくて,すぐに友人たちに報告した。

るんるん気分で仕事を終えて職場を出たが,ふと思い立って足を止め,うしろを振り返った。

そうしたらこの職場も,あと1か月もしたら通うことはなくなるんだ。毎日通っていた,あの駅も。近所にある御用達のコーヒーショップ,大好きなパティスリー,日本酒と魚が美味しい飲み屋さんも。

毎日くだらない話をしていた同僚も,よく気にかけてくれていた先輩も,慕ってくれていた初めての後輩も。

わたしの生活の一部になっていたこの街のあらゆるものは,もうすぐ生活の中から消えてしまうのだということを,急に実感した。

いつでも傍にあると思っていた何でもない日常は,手のひらにそっと置いた羽根みたいに美しくて,それでいて不安定なものだったと知った。

また帰ってくることがあれば,伝えたい。「この場所が大好きだ」

最後の出勤日,2年間ずっと隣の席だった先輩が,涙ぐみながら「いつでも帰ってきていいからね」と言ってくれた。わたしは,自分がいなくなることで泣いてもらえるような存在だとは思っていなかったので,とても驚いた。同時に,わたしも自然と涙がこぼれた。

最初は,知らない土地に一人きりで,不安だった。でも自分なりに頑張って,一から居場所を作ってきたんだった。あんなに離れたがっていたのに,この場所はいつの間にか,かけがえのないホームになっていたみたいだ。

永遠に続くものなんてなくて,変わっていくたびに寂しさが伴うけれど,そうやってそれを繰り返していくほかない。

もし,またここに帰ってくることがあるとすれば,社会人としてわたしを育ててくれた人たちに「この場所が大好きだ」と伝えよう。