緊急事態宣言が発出されて、街から人がいなくなった。

みんな、なるべくおうちにいて、みんな、なるべくだれにも会わない。

電車では、隣の人と間を空けて座り。

マスクをしない人は、二度見され。

ちょっと咳払いなんかしようものなら、周りはあっという間に全員”敵”だ。

そんな毎日が、”ふつう”になりつつある。

とても、さみしい毎日だ。

危険に晒すわけにはいかない。会えないのではなく、会わないのだ。

スマホという便利な機械がある時代で、ほんとによかった。

なんとか他者とコミュニケーションが取れるから、ぎりぎり人の形を保っていられる。

さみしいを、ごまかし続ける毎日だ。

わたしも桜が咲くより前からずっと、だいすきな恋人とまともに会わずにいる。

徒歩3分の距離に、お互いの実家があるというのに。

会えないのではなく、会わないのだ。

彼を、この世界で一番大切な彼を、わたしは危険に晒すわけにはいかない。

湯灌という仕事。誇りにおもっているけれど、高リスクな職種らしく。

わたしは「湯灌」という、亡くなった方の”最後の身支度”のお手伝いをしている。

世界中がコロナパニックに陥っても、亡くなる人がいる限り、湯灌を必要とする人がいる限り、仕事はなくならない。

もちろんわたしはこの仕事がすきで、誇りにおもって働いているけれど。

“感染”という側面からみれば、医療従事者に次ぐ高リスクな職種にあたるらしい。

そう、テレビでやってた。

わたしは、もう、コロナに感染していないと、言い切ることができない。

そんな世界を、なんとか、生きている。

今まで当たり前にできていたことが、こんなにも恋しくなるなんて。

ほんとうは、彼に会いたくて、会いたくて、会いたくて、仕方がない。

彼の声が聞きたい。

彼の笑顔がみたい。

彼を抱きしめたい。

彼と抱き合いたい。

今まで当たり前にできていたことが、こんなにも恋しくなるなんて。

数ヶ月前のわたしは、全く知らなかった。

その有り難みを、全然理解していなかった。

ずっと、一緒に住みたいねと言っていたのに。

なんで、もっと早く行動に移さなかったんだろう。

おなじ場所に、住んでさえいれば。

不要不急な外出と咎められることなく、毎日彼に会えたのに。

そんなことも、考える。

考えても、現実は変わらないのに。

あとどれくらい、耐えぬけばいいのだろう。

先の見えない恐怖が、今日もわたしを締めつける。

来月?3ヶ月後?半年後?来年?

もしかしたら、もっと先かもしれないけれど。

次に、彼に会えたら。

わたしはきっと、涙でぐちゃぐちゃなまま、きつく彼を抱きしめるとおもう。

それで、ただ「だいすき」だと、「会いたかった」と、伝えたい。

それまでわたしは、絶対に死ねない。

今この時を、なんとか、生き抜くしかない。