食べることに、ずっと苦手意識があった。
もう十年近く、「何が食べたいのか」「どれくらい食べれば満腹になるのか」がわからない生活を送ってきた。
今ようやく、失っていた満足感を取り戻しつつあるので、エッセイに書いておきたいと思う。もしかしたら、同じように苦しんでいる人の助けになれるかもしれない。

食べなければ減る体重。コントロールできて気持ちよかった

食べることが自然にできなくなっていったのは、中学三年生の頃。高校受験へのプレッシャーとストレスで、どんどん痩せていった時期だった。部活を引退した夏から、合格発表が出る三月までに九キロ近く減った。受験期は本当に神経質になっていて、お米を一粒ずつ食べるような食事をしていたら、自然と体重が減っていったのだった。
痩せることに、わたしは快感を覚えていた。
やったら成果が出る勉強と同じように、食べなければ減る体重は、自分がコントロールできるものが増えたようで気持ちよかった。もしかしたら受験の不安を、減っていく体重でごまかしていたのかもしれない。

だけど、四十キロを切ったあたりで体重減少が止まった。手が自然と震えるようになり、身体はひどい冷え性になった。さらに受験を終えると、その安堵感で食べ物に手が伸びるようになった。体重は受験終了をきっかけとして増加方向へ向かい、高校一年の夏が来る頃には十四キロ近く太っていた。完全なるリバウンドだった。

高校生になると、自分の食欲をコントロールできなくて太っていった

高校生になって太ったのは、安堵感のためだけではなく、自分の食欲をコントロールできなくなり始めていたからだった。食べ物のことが気になり出すと、それだけで頭がいっぱいになって何も手につかなくなる。勉強中も、人と会話をしているときも、アイスとか、アップルパイとか、なぜか具体的な食べ物の味が思い出されて、食べない限りはずっとずっと頭にへばりついている。それで結局食べてしまう。
しかも、食べたくなるものはカロリーが高いものばかりだった。お肉や甘いもの、それまで食べるのを我慢していたものほど、気になって気になってしかたなくなった。
食欲を紛らわそうといろんな方法を試したが無駄だった。何度も襲って来る食欲は、自分の制御できる範囲外で暴れ、わたしの体重はさらに増えていた。パンパンになった顔や身体が醜く思えて、自信を失い、自分を見失った。
大学生になる頃には何をどれだけ食べても満腹感を得られない状態になり、クッキーを食べたあとでご飯とおかずを食べ、アイスとヨーグルトを食べ、チョコレートをかじるようなことも普通にやった。もう、何がおいしいという感情なのかもわからなくなっていた。鬱々とした日々が続き、ただ義務感だけで生きていた。

自分自身の声を聞くようになって、空腹感と満腹感が分かるように

それが、少しずつ良くなっていったのは、「楽しい」「心地いい」という気持ちを少しずつ覚え始めたからだった。
大学に入るまで、自分の気持ちに向き合ったことはなかった。主体性がなくてもテストでいい点は取れるし、進学はできていたのだから。けれど、大学生になって「自分」が問われる機会が圧倒的に増えた。自分の考えを話すには、自分を知っている必要があり、自分の内側の声に耳を澄ませる必要があった。
わたしは、わたしを見つけていく練習をし始めた。少しずつ、自分への理解を深めていった。

――少し難しい本を読むのは楽しい。
――日なたのあたたかいのは心地いい。

か細かった声を聞いていくうちに、自分と対話ができるようになった。
そうした練習を重ねて五年、空腹感、満腹感がだいぶわかるようになった。何をどうしたら自分は満足できるのか、今ならかなり理解できる。

自分の感覚は、当たり前に感じられるようでそうじゃない。自分自身のことなのに、気がつけば感覚は空中分解して混乱してしまうことがある。その状態が長く続いたからこそ、わたしは自分の声に耳を澄ませることが、どんなに大切かを知っている。
頑なになりがちな心をほどき、心の声を聞くことを、わたしはこれからも大切にしていく。