「次会うとき、私は社会人になっているかもしれないね」
「かもじゃないよ、普通にそうだよ」
私と彼の電話の抜粋である。本来であればGWに会えるはずだったが、新型肺炎の影響でいつ会えるのか分からなくなったのだ。
カテゴリは「恋愛」にしたが、私と彼は「恋人同士」ではない。かといって私は「友達」ではないと思っている。中学時代の同級生であり、勉強面では常に私の励みだった。高校が離れても連絡を取り続け、当時のLINEは模試の成績や部活の話などでいっぱいだ。大学生になっても彼の帰省の際には必ず会っていた。そこまでは確かに「友達」だったと思う。
否定されていた自分を、彼だけは肯定してくれた。恋に落ちた。
転機は昨夏訪れた。彼が帰省し、カラオケと居酒屋へ行く約束をしていた。私は当時の彼氏との関係が芳しくなく、カラオケで重たい恋愛ソングを散々歌った。その後居酒屋へ向かい、彼に自分の感情を全部話した。恋愛の話も何もかも。
私はよく、自分が思っていることをそのまま誰かに話すと、「考えすぎ。もう少し楽に生きたほうがいい」と言われる。これを初めて彼に相談した。誰にでも心を開く私が、誰にも告げていなかった話だ。彼はこう言った。
「そういう人たちって、生きているというより、生き長らえてるようにしか思えない」
その瞬間だった。内臓の一部が動いたような心地がした。多くの人から否定されていた自分を、彼は肯定してくれた。少女漫画やJPOPの世界にしか存在しないと思っていた「恋に落ちた音」がした。ごとりという重たい音だった。その後数時間過ごしたが、頬の紅潮と全身の汗が止まらなかった。
彼へ抱いた恋慕を眠らせようと努力している。
私に文章を書くことを後押ししてくれて、一番最初に褒めてくれたのも彼だった。私は週に一度程度、彼に電話してしまう。平均5~6時間は互いに話し続けている。ある日私は、文章を書いてみたいと話した。これも誰にも伝えていなかったことだ。彼はあっさりと勧めてくれた。感想として「すごい読みやすい。記者に向いてるよ」と言ってくれた。中学時代から新聞記者を志していたものの両親に反対されていた私は、彼の言葉を心の中の宝箱に残している。
ふと考えた。私を大きく動かしてくれた存在を、「恋人」とたった二文字、また「好きな人」とたった四文字で表していいのかと。過去の恋愛経験から「恋人」は有限なことも知っていたので、尚更そう思った。その考えに至った今、彼へ抱いた恋慕を眠らせている。21年生きてきて初めて感じた「恋に落ちた音」に少し申し訳なさを感じるが。
新型肺炎の影響で逢えない今、自らのスキルアップをしよう。
話は冒頭に戻る。次に会うのは社会人。最後に会った際、私は大失態を犯した直後だったので、彼の前でさえも笑えなかった。次に会うときはそれを払拭したい、そして彼に抱いていた感情を伝えたいと誓っていたからこそ、新型肺炎が憎かった。彼は通話もできるしと話していたが、私は逢いたい。通話が切れたあとはいつも寂しくて涙を流してしまうが、今回はその倍くらいは泣いた。
憎んでばかりでは何も始まらない。私はこれを契機にできないかと考えた。そして気づいた。私は彼に与えてもらってばかりだということ、自分自身の欠落を彼で埋めようと図っていることに。私は彼に動かされる経験が多かったが、彼を動かした経験はないように思う。この新型肺炎が国内を脅かしている最中、自らのスキルアップをしよう。一人での時間が増えた今、卒業論文の執筆やその他文章の執筆、様々な経験を踏み大学を卒業し、社会人経験を経よう。自分の幅を広げ、彼に返せるような人間になろう。そう誓った。
新型肺炎を散々憎んだし、就活生ゆえ感染を非常に恐れている。同時にこれは自己を磨く最大の契機だ。今この時を有効に利用したい。次に彼に会ったとき、彼への感謝を少しでも返せるように。