私は人に気持ちを伝えることが苦手だ。よく友人に、人や物事に対する気持ちが惑星規模で重いと言われる。実際に、人に話した時は十中八九重すぎて引かれる。それに、自分の気持ちを言葉にしようとすると泣きたくないのに涙が出てきてしまう(さらに重く見られる)。心の底から伝えたいことがあるのに、全然うまく伝えられないもどかしさや悔しさも勿論、それで泣くのは卑怯とか言われた日には、半年は引きずる。人前だけでなく、一対一でも「本心から」話そうとすると、どうしてもそうなってしまう。だから、はきはきと人に気持ちを伝えられる人に憧れてきた。同時に、なんでこんなに自分の気持ちをコントロールできないのかと、情けなかった。

大好きな先生の最後の講義までのカウントダウン

指導教員の教授が、サバティカル(研究休暇)で一年間大学を休むことになった。この人の元で学びたい、この人と残りの大学生活を過ごしたい。そう強く思った初めての先生だった。念願叶って、先生のゼミに入って、一年目が終わる時に突然来年はいないと言われた。先生はせっかく選考を突破して、縁があってこのゼミに入ってくれたのに、卒業まで一緒に勉強できなくてごめんなさいと、何度も謝った。先生が謝る姿を見て、そんなの先生の人生だし、どこかでサバティカルを取らないと定年退職まで取れないってことだから、本業である研究のためにも取るのが当たり前で、そんな数年しか一緒にいない学生に謝る筋合いなんてないし、とにかく先生に悪いところは一つもないんだから謝らないで下さい、と頭の中では言葉がたくさん流れた。けど、口はきゅっと横に結ばれて、一言も発せなかった。そうなんですね、と事実を受け入れていく周りの学生を前に、私は目が熱くなるのを我慢するのに必死で、「研究頑張ってください」とか、気の利いたことは何も言えなかった。

一年生の時に先生の講義を初めて受けた。こんなに素敵な人がいるんだと、大げさかもしれないけどただの授業で涙ぐんだ。
先生は一方的な講義は一切せず、学生との双方向のやりとりを大切にする人だ。講義の始まりには学生に書いてもらったコメントの一部を読み上げる。書くだけなら私は泣かないし、そのまま気持ちを伝えられて気が楽だった。
読み上げが一通り済むと、先生はジャケットを脱いで教卓の上に置き、タートルネック一枚になる。この一連の動作を、いつも落語家みたいでいいなあと席から眺めていた。そして本題に入ると、大講義室だろうと常に動き回り、学生にどう思う?と問いかけ、意見を丁寧に聞き、話を広げていく。

いつもは柔和な先生が時折見せる暗く鋭い表情に胸がざわつく

先生はいつもにこにこしていて、ぱっと見ただの物腰柔らかそうなおじさんでしかない。身長も高くなく、女性の平均身長ぐらいの自分でも、目線を合わせるのは楽だ。体格もひ弱そうで、頑張れば私でも倒せそう。話し方も丁寧で、先生くらいの年齢の人に多い高圧的な態度も、学生をちょっと下に見るような言葉遣いもしない。常に性別も年齢も地位も関係なく、相手と対等に話す人だ。でも、時々目の奥が鋭いというか、よく見ると怖い表情を一瞬するというか、比喩じゃなく身体から滲む凄味があって、全部見透かされている気がした。

いつもはにこにこジャムおじさんとタモリさんを足して2で割ったようなおじさんなのに、ふとものすごく暗く、強い雰囲気を感じる人と出会ったのも、人生で初めてだった。そういう時の先生を見ると、良い子でいようと取り繕っている自分は、胸の奥がどきっとした。

先生は主に芸術についての講義を担当している。話題に上がる作品たちは、ただ綺麗なだけでなく、少し陰のある、例えば人の生き辛さや苦しみ、内面の表現にこだわったものが多かった。最初はにこにこ優しそうな先生から、人の苦しみとか重い言葉がポンポン出てくるのにちょっとびっくりした。それに、もし私が生き辛さとか重いことを人に話そうものなら、すぐに涙が出て話すどころではなくなる。先生があまりにもさっくりと、堂々と伝えたいことを話す飄々とした姿が、とても頭に残った。

手紙に託した感謝の気持ちと、先生からのメッセージ

年度の終わり、ゼミ生は先生と一対一でお別れの挨拶をすることになった。私は今まで先生に手紙なんて書いたことがなかったけど、当日会ったらきっと涙を堪えるのに必死で、まともにお礼の言葉を言えない予感がしたから、お気に入りの便箋に、丁寧に丁寧に文字を書いた。書き終わってから、なんだか全然足りないと思った。気持ちの百分の一も伝わらない気がする。当日、会う前に花屋さんに寄った。人生で初めて、人に花束を渡したいと思った。ゼミからの強制でもなんでもなく、本当に心の底から、自分の意志で、この人に花を渡したいと思った。

実際に会うと、やっぱり色々な感情がごちゃ混ぜになって、話そうとすると目が熱くて、そういう自分のダメなところを悟られまいと必死で、私からはうまく言葉を発せなかった。
先生はいつも通り丁寧に、にこにこしながらゆっくり会話をしてくれた。他の学生も会いに来るからそろそろ時間切れ、という時に、先生はにこにこした柔らかい表情から、たまに見る真剣な顔に変わった。それから、私の長所は感受性が豊かなところ、芯はしっかりして見えるらしいこと、講義で先生の言葉を、他の人が取りこぼしちゃうところも、私のアンテナだから受け止められるらしいことを伝えてくれた。
「文を読めば、たくさんのことを、よく考えてる人だなってわかるよ、だから大丈夫」そう言ってくれた。

先生の前では良い子でいようと、気持ちは重すぎず軽すぎず、泣かず堂々と話せる人っぽく、結構取り繕ってきた。でもそういうところは見透かされていて、文章じゃないとうまく伝えられないことも気持ちが重いこともばればれだった。
先生は最後にそういうところをまるっと私の長所だと言い放った。それで確かに今まで抱いてきた情けなさは減った。

けど、やっぱり先生に直接自分の言葉で気持ちを伝えられなかった後悔はずっと残った。
だから、自分の心の底からの気持ちを、堂々と伝えられる先生みたいな人になります。先生と次会うときは、花束と手紙なしでも、身一つで、気持ちを伝えられる人になりたい。